大事な本なんですよ。
本が好きと言っても色々有って、読むのが好きとか、コレクションするのが好きとか、人に依って好きにも色々ある。
私の場合は読むのもコレクションするのも好きで、本を売ったり捨てたりは出来ない。
後で読みたくなったり、この言い回しを確認したくなったりとか、自分の中では本を手放す気持ちになれないのだ。
それでも、引っ越してマンションで暮らすようになって、随分売ったり捨てたりをした。
本を捨てるのは随分勇気がいる、他の人は如何か解らないが、私の場合は子猫を捨てる気持ちになる。
家が狭いから捨てた方が良いよと言われても、1冊捨てるのはハードルの高い事態だ。
私のこんな性格が災いして、今の我が家には割と本が積もっている。(器も沢山積もっているけどね。)
「もっと売ったら?」娘に言われるのだが、今の所売るつもりも無いし、出来るだけ丁寧に持っていたいと思う。
長女と暮らしていた時期に、長女が私の本棚を見て、驚いて声をあげた事が有る。
なんだなんだ、何が有ったんだ?こっちも驚くべきものは無いと思っているから、驚く声に対応できない。
「ここに在る本さ、まんだらげで何万もしとった、凄いな、売る気無いん?」
どの本やねん、そんな特殊な本は無いで、と考えて聞いてみる事にした。
「どの本が売ってたの??」
長女は指さして、コレコレと言った、指の先にあった本は漫画で、星の時計のLiddellという本だった。
これは売れないんよ、だって手に入れた時だってあんまり売って無いから、本屋を巡って買ったんだもん。
それに何度読んでも良いし、その時によって感じ方が違うから、何度も読みたいのだよね。
この本は内田善美さんの星の時計のLiddellだ、内田善美さんと言えば作品が少ない漫画家さんだ。
この方の作品を古本屋で探したりしても、ほぼ無いと言っていい、なので私は持っている本は手放さないと決めている。
ここに在るのは全編夢に因んだ話だ、夢と言っても沢山あって、自分の理想を追い求めているのも夢だし、夜寝ている時間に見るのも夢だ。
最初に幽霊になった男の話をしようと思うから始まる。
幽霊??死んだのか??私の想像とは違って、彼の夢の話しだ、何度も見る彼の夢は訪れたことも無い家だった。
子供の頃の記憶でもなく、行ったことも住んだことも無い青い夜の中に有る美しい夢だ。
彼は子供の頃から気配を感じていた、それは風だったり、光だったり、闇の中だったり、そこら中の物質、そしてその向こうに有るもの。
彼の夢の話を一緒に居るもう1人の男性主人公が調べようとして、夢を見る女性の話を聞く。
自殺しようとして薬を飲んで、ずっと眠り続けている女性が居て、彼女がずっと夢を見ている状態なのだそうだ。
彼女の場合は検査をすると、明らかに睡眠状態だが、夢を見ている状態になる。
そこで『彼女はいわばその魂をもって夢に帰化した。』と教えられる、魂はしなやかで夢に捕らえられるのだと。
精神の異常とはその社会で同化できない事に他ならない、正常な精神を持っていても、社会から異常とレッテルを貼られると異常者だ。
絶対多数が真理とは言えないのに、絶対多数が正常と異常を決める、それで正常な場所としての夢に囚われるのだろう。
そう考えると、この主人公の不安定さ、夢を見て幽霊と呼ばれたとか、子供の頃急に金木犀の香りを嗅いで、ふっと浮き上がる感じをしたと云うのが、現実の生活と共に、並行して描かれている。
胡蝶の夢という話が有る、ある日蝶になった夢を見て、その夢を見ている方の自分が本来なのか、蝶が本来の自分なのかという話だ。
人間はこの世界が本来の状態か否かは判断できない、だから数学が有るとか、だから物理が有るとか言っても、その物理法則はその数学は本当なのかも怪しいものだ。
夢で見る幽霊がこの世の物では無いのか、それとも幽霊と思っている方が現実で自分の方があちらでは幽霊なのではないのか??
そして主人公は居なくなる、きっと幽霊屋敷と言われる所で、幽霊としてあちらの世界に行ったのだろう。
これを読んだ時、自分が現実と夢の狭間で生きていて、ここは本当に現実世界で、若しかすると本来の世界では自分が幽霊で、違う物として生きているのかも知れない。
ここで生まれて育ってゆくのに、自分の選択肢はない、でも若しかすると、夢の世界では思った自分で居るのかも知れない。
子供の頃、何故数学が必要か?と考えた時に、出した結論は数字でしかこの世界が有るというのを表すことが出来ないという事だった。
けれども、その数字や数式は本当にこの世界を表しているのだろうか、私はこの本を読んでそう考えてしまった。
私が夢に囚われているのか、夢が私なのかは、そんな数式では表せない、夢の質量が測れないから。
自分にとって現実とは何を考えさせてくれた本。
それがこの星の時計のLiddellである、作者の内田善美さんはこの後やり切ったと引退したらしいが、何だか残念でならない。
文では絶対に表現の出来ない作品なのだから。