日本語表現は深いからね
子供の頃から言葉が好きだった、言葉が好きだと言うとよく話す子だと思われがちだが、そうでは無い。
実は私無口だったんです。
高倉健さん張りに自分無口ですからと言ってしまうほど、言葉が口からは出てこない。
話をしていると、自分が答えようと考える一瞬前に誰かが話していて、話す機会を失ってしまう。
無口な私ですが、頭の中には言葉が有った、本が好きで本を読んでいるから、言葉の塊が自分の頭に巡っている感じなんです。
子供って話したい事象が一杯有ると、有り過ぎて何を言っていいか解らなくなって、気持ちだけが先に行っていて、口が付いてこない。
頭の中の言葉の塊の混沌は、本を読んだり文を書いたりする時にやっと整理できる。
言葉を口に出すのは難しい、ディベートという言葉が流行った頃、頭に浮かんだことその場で直ぐ口に出すのは大変だと思った。
だから、自分的には言葉を使う時には、いったん置いて話して居るつもり、言葉が簡単には出ないからね。
その私に次女がデリカシーの無い言葉を使ってるから、いったん頭で考えてから口に出して、と言ってきた。
それ私があんたに言いたいわ。
急に「出て行く、出て行ったらいいんでしょ。」これで結構外に出て行く、だけど行く所が無くて帰ってくる。
昔は止めてたけど、もう止めないよね、だって30過ぎた大人だから、他人が無いにってもでしょ。
双極性障害だから心配していると、こっちがバカを見る、止めた止めたー、自分の考えで何でもしてください。
言葉を頭の中で考えて口に出すのは、親や兄妹などでは余り無い、それが悪いわけでは無いが、脅しに使ったりストレス発散に使ったりすると、そこに問題が生じる。
今回は私に「この家から出てって。」と言ってきた、考えて言ってないとは思って居ても、去年あんたの借金払ったのは私だよ、それでお金無いのにそれ言う。
言葉の使い方は人の魂に響いてくる、誰もが言った言葉に責任を取らなければならないし、自分の行動が当てはまっているかを考えなければ為らない。
げに言葉は難しい。
日本語は世界で魅了される人が多い言語だそうだ、他の言語体系とは違って困難なのだそうだ。
その日本語文化圏に産まれて、その言葉を熟知して生きてきた私達は、他とは違った表現方法を持っているんじゃ無いかなと考えている。
だからこそ、他人が傷つく表現を止めて、どう言ったら理解して貰えるかを考えて、言葉を紡ぐ必要がある。
生きていると、他人を傷付けたり、自分が傷ついたりするけど、少しでも和らげる表現方法を使って欲しいし、勉強して欲しい。
日本語には表現の仕方が沢山有るのだから。