見出し画像

苦し楽しみ

休みの愉しみと言えば、ジムで筋トレ。

前職の時は13時からの出陣もとい出勤だったのでほぼ毎日の様にジムに行ってからの仕事、ここ迄やったとニヤニヤしながら仕事をしていたのが、ジムが休みになったり、仕事を変えたりで、土日にしかジムに行けなくなってしまった。

『筋肉がオチル』元々余り無かった筋肉が無くなるんんじゃ無いかとか、『このままでは動き回るボケ老人にはなれないんじゃ無いかとか』トンデモナイ危機感を感じた2ヶ月がすぎ、土日に足と背中の筋トレを2日に分けてする事にした。

筋トレは次女と三女と一緒に行っている。

私は筋トレは初めてではない、実は三十代の頃に一人で自転車屋さんが趣味でやっているジムに行っていた。

これは私の持論に過ぎないのだが(アスリートの皆様、間違っていたらごめんなさい)筋トレが好きな人間はマゾである。

少なくとも私はそうだったんでは無いかとか思う。

バーベルを持ちながら、『ウーン苦しい、でももうチョット、これで筋肉が付く、後ちょっとだけしかできない残念』とか『筋肉君ちゃんとついてね、此の苦しさは楽しさに変わる。』とか思いながら重さを増やしていき、最高40㎏のバーベルでスクワットしたりしていた。

これはどう考えてもマゾの所業である。

子供の頃は体を動かすことをしなかったのだから、その頃を知っている人からするとビックリなどではなく、驚愕の私になっているのではないかと思う。

今考えれば、体育の授業が苦手だったのは、苦しいことが嫌なのではなく、体の使い方が解らなかったからではないかと思っている。

トレーニングは前にやっていたのだからちゃんと出来るかというとそうではない、娘2人によると私のスクワットは浅はかなスクワットだそうである。

「お母さん、そんな浅いスクワットなんか、効かへんよ。」二人とも声を揃えて言ってのける。

いやいや、ちゃんとやっているし、そう答えたいのを堪えて、もっと深くスクワットすると、やっとヨシが出る。

躾される犬の気持ちが良く分かる現在の私。

しかし、諦めることを拒否している自分に酔って、今の私は星飛雄馬、親父さんにスパルタを受けても頑張る、といつも頑張っているのである。

『浅いスクワットは浅はかなスクワット。』それを合図に深いスクワットをし筋肉をつけるべくプロテインを飲む毎日。

ターンと動き回るボケ老人になる日もそう遠くないと思うと、苦し楽しみを感じる。

いつの日か、ぼけ老人の星飛雄馬を目指して・・・・

きっと何時かはと思う日々である。

多分。



文を書くのを芸にしたいと思っています。 頑張って文筆家になります。 もし良かったらサポートお願いします。 サポートしていただいたら本を買うのに使います。 ありがとうございます。