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何もない日

何もしない日がある。

何もしない日と言っても、家事や読書はしているが、家でゆったりする日である、数年前まではゆっくりと家にいて何も考えない日が無かった様な気がする。(気がするだけであったやも知れないが)

休みの日にも会社は大丈夫だろうか?資金ショートしないか?次はどうしたらいいのか?次々と頭の中に散ってきたチリのような言葉を確認しながら頭の中から掃き出すことに必死で、何も考えない等と言う贅沢は許されなかったと思う。

心配なら誰かに相談すればと誰もが思う所だが、会社の事は誰にも言えない、夫は経理の事には無関心だった。

「これから如何しよう?売る上げが減った分を補うには何をすれば。」と言っても、中国に持っていかれた仕事が何時か戻ってくるんじゃ無いかと思っている節があり、何処かで戻ってくる、安い値段で仕事を取ると利益が無くなるからこのまま頑張ると言って聞かない。

持ちこたえる体力があればよいのだが小さい町工場にはその体力は持ち合わせていない。

良く経済の事を森に例える事があったが大雨が降ったり風が吹くと木はちょっとだけ影響を受けるけど晴れればその恩恵に浴する、でも下に生えている草は流れる可能性もある、倒れる可能性もある、だけど晴れてもちょっとしか日が当たらない草は恩恵を受けるためには相当な晴れの日が必要になる。

まごう事無き草である、町工場の我が社は、経済の大雨に晒され、お日様は余り入って来ない状況が続いた。

自分では如何しようも無いのだが、考えてしまうのだ、どうすればいいのか?この方向性は無いのか?等と。(どの中小企業の経営者や町工場の奥さんも一緒だと思うが)

結果として、休みと言っても本当に休めない日々が続いていた。

今、派遣なので契約を何時切られてもしょうがない状態とは云え休みは休み、頭のチリは全て掃ききって何も考えない時間がある。

文書くのが好きだった事さえ忘れて、仕事を考えていた以前とは雲泥の差である、しかしながら、もう一度会社をやってみるかと聞かれたら、やってみると答えるとは思う、会社を動かそうと思うこと自体は遣り甲斐があるのだ。

草も又一興なのだが、今は木の下で雨宿りしている虫の様にゆっくり雨を眺めていたいと考えている。

忙しくなると文を書く頭が無くなるので(一つの事しか考えられない頭ですもの)文を書ける今を愉しんでいたいと思っている。

このままで往くと文を書くのは止めないし、死ぬまで書くんじゃないか何て予感があるのだが。

多分。





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内山祥子
文を書くのを芸にしたいと思っています。 頑張って文筆家になります。 もし良かったらサポートお願いします。 サポートしていただいたら本を買うのに使います。 ありがとうございます。