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勝を見ることを衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なるものに非ざるなり(平凡な勝ち方が一番よい)|4月9日
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勝を見ることを衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なるものに非ざるなり(平凡な勝ち方が一番よい)
本項の「見勝不過衆人之所知、非善之善者也」は、形篇の攻防諭のあとに出てくる言葉である。だがこれを聞いた大抵の人は、禅の公案を聞いたような気持ちになる。なぜならわかったようで、その本当の意味がもうひとつ読み取れないからだ。
この意味は、誰しもが知っているような勝ち方は、最高の勝ち方ではないということだ。それは大向うを唸らせる鮮やかさはあるが、リスクもまた大きい。孫子はそれがよくないという。そこには必ず無理が伴っている。無理を克服できるのは、奇策とともに幸運とか僥倖(偶然に得るしあわせ)のせいともいえるからだ。
善の善なる勝ち方は、誰が見ても「これなら勝つが当然」というような平凡な勝ち方だ。武田信玄の勝ち方はこれに近い。彼は合戦に先立って調査と訓練に万全を期し、成算ない戦いを避け、戦えば必ず勝ちをえて、そして将来に向かっていった。
だから派手な合戦はないかわりに、確実だ。孫子信奉者だけのことはある。
4月9日、孫子一日一言の言葉です。
おはようございます。
利益が確保できる方針を優先するべき。
戦わずして勝つ。
一番の勝ち方で、勝って当然というのも圧倒的な力の差というのも大事です。
お互いの力が互角では戦うべきではない。
ありとあらゆる方法でこちら勝手当然という状態を作る。
信玄も家康もそうだったんでしょうね。
今日も一日がんばります。
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