映画『とりつくしま』 どこまでも愛おしい、人生のもどかしさと強さの詰まった時間
新宿武蔵野映画館で、2週間限定公開中の「とりつくしま」を鑑賞。この日は、朝の支度中に足の小指を愛犬の食器台にぶつけて「いてててて」と大笑いしてはじまった。なんとなく愉快な気分だったのに、家を出る頃には小指の痛みは強くなり、靴を履くのでさえままならない状態になっていた。
足を引き摺りながら、新宿の街を歩く。人生のある季節、毎日のように歩いていたこの街は、今では年に数回程度訪れるだけになっている。そのせいか、あんなに体に馴染んでいた街の気配がなんだかよそよそしい。
それでも、新宿武蔵野映画館は時間を超えて変わらぬ様子で私を迎えてくれた。私はこの場所の、そっぽを向いてニコニコしているような佇まいが大好きだ。
映画では、小泉今日子さん演じるとりつくしま係が、人生の最後に「モノになって、もう一度この世を体験することができます」と語りかける。
夫のお気に入りのマグカップになった妻
大好きなジャングルジムになった男の子
孫にあげたカメラになった祖母
息子の試合で使うロージンになった母親
公式サイトには「人生のほんとうの最後に、モノとなって大切な人の側で過ごす時間」と書かれている。
けれども、生きている時と同じく、いや、それ以上に思い通りにはいかなかったりもする。それは残された人も同じだけれど、それでもあごをグイッと上げて空を見上げ、進んでいくしかない。進んでいく誰かを見守るあたたかさとうれしさともどかしさよ。
誰かを思う気持ちは切なくも優しく、人生って悪くないよねと思う。
最後の時、とりつくしま係に尋ねられても、私はきっと、なんにもとりつかないだろう。けれども、私のまわりのモノが誰かの大切な人たちだと思うと、今日も1日優しい気持ちになって歩いてゆける気がする。
ただただ、愛おしい作品でした。
ちなみに、この日の朝ぶつけた足の小指はがっつりと折れていた。痛いし不便だけれど、体を支えるためにつかまる机や痛みを避けながらゆっくりと履く靴、固定のために毎日張り替えるテーピング、なんだかすべてを慈しんでいる自分がいる。
鑑賞帰りに歩いた新宿の街は、よそよそしさが消えて、あの頃の私ごとふわりと包み込んでくれているように感じた。私たちは生まれる時も死にゆく時もひとりだけれど、ひとりぼっちではないんだなぁ。うん、人生ってやっぱり悪くない。
都内では、新宿武蔵野館で19日(木)まで上映中。
2週間の限定公開は短いなぁ。
このあと大阪、愛知、京都、兵庫、福岡でも上映予定だそうです。
私は、久しぶりに原作を読み返そうっと。