靴下、脱げる
保育園で靴下を脱がせようと、いつものようにぴっと引っ張って脱がせる一瞬のできごと。
もう片方の靴下を、「ぬいでごらん」と先生が息子の手をもつ。
日ごろから、できることは自分でやらせようとしているつもりだったけど。
ああ、そうか、自分で脱ぐことくらいできるのかも。
以前、親が何でも先回りして、手取り足取りやるから、自分では何もできない子どもを見たことがあります。
ペットボトルは人に渡して開けもらうもの。缶は、どうやって開けるか分からない。かさは、閉じたらそのまま、留めるなんてやらない。それは、お母さんがやってくれることとでも思っているか?
まだまだ日常の無意識の行動の中で、ついやってあげてしまっていることあるのかも。まだ、1歳だからできないでしょって、固定概念がどこかにあるかも。
ふと、考えさせれ、反省する一瞬の出来事でした。
子どもの可能性は無限大。
そこに、ふたをせず見守ってあげることが大人の役割。
できないなんていう固定概念は、子どもの可能性にふたをしているのと同じ。
大人だって、同じだよね。
靴下は自分で脱げるけどさ、ヒカキンみたいなユーチューバーにはなれない。「自分はできない」という固定概念がある。本当はそんなものないのに。
大人だって可能性は、本当は無限大。残されている時間が違うだけ。まぁ、ヒカキンになろうとするなら、ありったけの情熱と時間が必要になのかもしれないけど。
「できない」という固定概念は捨てて、自分が情熱をもってできることに対して「なんでもできる」になりたいね。
米を自分でつくったこともない私が、無農薬でお米をつくりたい、家族がお腹いっぱいになるくらいはつくりたい。そんな、私の夢だって「できる」日がいつかくる。
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