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訪問診療

明日は母が入院していた病院の
院長先生が訪問診療に来てくださる日
これからの治療方針や
わたしの介護について
ききたいこと忘れないように
ここに書いて
そのままお渡ししようと思う

まず胃ろうと
経鼻経管栄養の違い
母が元気な時、母にも確認していたけれど
母が倒れてからも妹や家族と話し合って
延命治療はしない
胃ろうはしない
管につながれて生きていたいとは思わない
そう確認しあっていた
でも、いまは母には管が入っている
必要な治療だとはわかるのだけれど
でも
ひとは自分の口から食べられず
水も飲めなくなったら
それは死ぬということで
もちろん若い人は
胃ろうをしていても
治療が進めば元気になって
胃ろうを外せると聞いたことがある
でも母はどうなのだろう
経鼻経管栄養を外せるのだろうか
自分の口から食べられないのに
水も飲めないのに
生きていて楽しいのだろうか
今の母をみていると
生きていることを幸せとは

感じていないのがよくわかる
あの
慟哭というか、咆哮というか
ひととけものの間のような
泣くような叫ぶような
あの声を聞いていると
それだけで深い闇の中
足をつかんで引きずり込まれそうな気がする

母が倒れて4か月以上たつから
母はそれなりに自分の状況を
把握していると思っていたが
どうもそうではないらしい
自分の状況を把握できてないから
現実を受容できるわけもなく。
脳幹出血?脳梗塞の後遺症の
記憶障害
母はどの程度、何を、どんなふうに
覚えていて、長期記憶と短期記憶
どこがどうなのか
やはり詳細にきいて記録すべきなのか
彼女の症状
わたしもちゃんとわかっていないのだろう
どうしたらどこまで回復するのか

せめて自分の口から
水を飲み食べられるようになること
経鼻経管栄養をやめること
これが第一目標
そして、
まさか歩けるようにはならないだろうけど
左に傾くからだ、まっすぐにすることはできる?
自分で寝返り打てるようになる?
右手はなんとか動いてるけど
左手の指はほとんど自由にならない
いま手袋をはめるっ練習をしてもらっている
ボタンをはめるのはとても難しいだろう
からだを起こせないから靴下は自分ではけない
櫛もブラシも歯ブラシもコップも持てない
いつか鉛筆持てるようになるだろう)
大好きな本のページをめくれるようになるだろうか
いま小型の薄い絵本を読む練習をしてもらっている
重い本は持てないし文庫本の薄いページはめくれない
文藝春秋は重いしページも薄いし字も小さいから
読めるようにはならないだろう
やっぱり前に主人に相談していたように
わたしがyoutubeチャンネルに
青空文庫などの著作権の切れた小説や詩の
朗読を
UPして、それを母に聞かせるのが
母の鬱屈した長い一日の愉しみと
認知症対策として一番いいのではないか
ラジオは聞かせても番組の選り好みが激しく
常時母の気に入る番組が流れるわけでもないし
母は自分で選局できないから
結局すべてわたしの手間になるし。
とにかくさき
母の病状とこれからの目標を先生と話し合って
母の簡単なプロフィールと倒れた状況と
これからの目標と
やらねばならないこと
わたしからの要望などを
1冊の本にして(スケッチブックに?わたしが書いて描いて?)
毎日母に読んでもらうことにしよう

そして
大切なのは
訪問看護の契約書にたしかあったはずだけど
延命治療はしない、のあとの
左下の何項目か
水分補給や
栄養や
酸素
みんなしてくださいにしたけれど
それは違う
それも延命治療だと
妹や甥や姪に言われて
夫に聞いたけど
やはりみんなと同じ意見で
経鼻経管栄養も本当はしてはいけなかったらしい

でもそれはわからないままに
いつのまにかそうなっていて
それはわたしの知識不足
勉強不足であったのかもしれないけど。
とにかく今は
経鼻経管は外す
ということそれを目標にします
そしてもう
母のからだの管は増やしません




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