「智恵子抄」を読んで
「智恵子抄」を紹介します。
高村光太郎の詩‟あどけない話”は小学生のときに教科書で初めて目にしました。当時、田舎で生まれ育っていた私は「阿多多羅山」の上の空はここら辺と変わりないだろうとさほど興味を抱きませんでした。一方で、行ったこと見たことのない都会の「東京の空」に思いを巡らせたものでした。好奇心旺盛な小学生でした。
同じく小学生の頃、十和田湖畔にある彫刻“乙女の像”を見ました。これは、中年の同一人物の裸の女性が2体並んで優しくタッチを交わし交差している像でした。これが乙女なの?十分年をとったおばさんじゃない!と第一印象で違和感を持ったことを覚えています。こちらも芸術を鑑賞する能力に欠けているまだ幼い小学生です。しかし、静かな湖畔の片隅にほぼ永遠に立っていることを約束されているであろう謎の名前を持つ彫刻は忘れがたくて売店からそのポストカードを購入したことを覚えています。今でも持っています。
18歳の時に学校の図書館で借りた「智恵子抄」を一人部屋で読んで涙が出ました。小学生の頃より少しは大人になっていました。光太郎と智恵子のまじりっけなしの二人の純愛に対するあこがれ、芸術家の光太郎を支えることで削られていく智恵子自身の芸術活動への時間、智恵子のうまく芸術表現できないことへの葛藤、やがて、心と体がばらばらになり蝕まれて発病する智恵子。光太郎の言葉で言えば人間界の切符を持たない智恵子は死をむかえます。智恵子を弔ったしばらく後で、愛した智恵子を形に残すために岩手の小屋に独りこもり乙女の像を完成させて自分は元素に帰る・・
18の私は恋愛については、恋は駆け引きがあってわくわくするなんだか楽しいもの、愛はまだよくわからないまったく未知の分野、という認識でいました。自己中心的な私は自分より大事なものや人って出てくるのかな?と愛については懐疑的でさえありました。そんな私でしたが圧倒的で献身的な2人の愛を紡いだ詩の言葉を一つ一つ理解しようと努めました。理解出来なくても根底にある小川のような清らかなものはなんとか汲み取ることは出来ました。自然と目から温かい涙がすーと一筋流れ出ました。本を読んで涙したのは初めてでした。
数十年経た今でも愛はよくわかりません。今後もわかるかどうか自信がありません。教訓もなくいたずらに歳月を過ごしてきました。そんな私に気づきをくれる「智恵子抄」は今でも手元に置いて時折頁をめくる大事な本です。