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先陣切って間違いと弱さを認めること

わたしは昔、大きな嘘と虚勢心で大事な人を傷つけたことがある。その人との関係はいつか修復するかもしれないし、やはり修復しないかもしれない。いずれにせよその人を怒りに震わせた事実は変わらない。嘘と虚勢がばれてから、わたしは必死で作り上げた鎧が解かれたような思いでいた。

あの時は、鎧が解かれてしまって恥ずかしかったし、情けなかった。なにより傷つけてしまったことへの後悔が強かった。でも今から思うと、23歳のあの時に裸になれてよかった。あの時からわたしは虚勢を張るのをやめて、周囲を自分の物差しで測るのをやめて、人からのアドバイスをそのまま受け取った。あの時からすべてをはじめることができた。

当時、裸の自分は実にしょうもない奴であることに気づいた。家事もできないし、文字もまともに読めないし、仕事も要領が悪く、パートナーに依存的だった。フリーランスになって月2万しか稼げない月もあったし、多くても月8万しか収入は得られていなかった。それでも粛々とその自分を受け止めた。わたしはそこからはじまった。

26歳になりD×Pで仕事をするようになって、自分の人生と仕事への覚悟が決まるようになった。やった責任もやらない責任もすべて自分にある。自分の能力の低さが組織に直結する。腹を決めて矢面に立ち続けた。しだいにマネジャー業務が増えた。こちらが正直でなかったり覚悟が決まっていないと、速攻で相手にバレる。その弱さや覚悟のなさはチームを伝染する。伝染の大元が自分だと知った時の情けなさといったらない。

それでもわたしは「正直であろう」と思った。「矢面に立つ覚悟を決める」とセットで「正直である(嘘をつかない)」はわたしの中に教訓として根強く存在していた。「なんでこんななんですか?」「これはおかしいと思う」「もっとこうだったらいいのに」…。わたしの元にはたくさんの声が届く。届いていないものもたくさんあるだろうけど、届いている声もまあまあ多い。当人同士で解決させるものもあるけど、現象の多くはトップマネジメントの実力不足が要因だ。申し入れに納得したら、正直に謝った。みんなの目の前で謝るときもあった。今年に入ってからは、正直に悲しい気持ちを吐露し、焦りを共有し、苦しみを言葉にするようになった。だれよりも先陣切って間違いと自分の弱さを認めた。

最近不思議なのは、ともに働くメンバーがとても正直だということ。もちろん人によりグラデーションはあるけど、違和感の表明がはやく、言語化がはやい。わたしはもしかしたらこの人たちに影響されて正直になっていったんだろうかと思ってそう言ったら「さっちんが明け透けだからですよ。スタート地点そっちです」と笑われた。スタート地点がこっちなのか?と思って考えてみると、たしかにそれは8年前の悲しい出来事に起因するような気がしてきた。

あの出来事から8年。わたしはずっと裸だ。でもいよいよ裸加減に磨きがかかって(?)隠すものがなくなってきた。しょうもない自分と付き合いながら生きてゆく。

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入谷佐知さっちん
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