見出し画像

「自分は◯◯する資格がない」から、自分にマルがつけられるようになるまで

自分を幸せにするのが悪い、という風潮があると思うんですよ。お母さんは遊んではいけないとか。老人は豪遊してはいけないとか、性的なことかんがえちゃだめとか、お金使ってはいけない、とか。自分が自分を一番大切にしていなきゃいけない!自分で自分を幸せにしなきゃ!

というメッセージをpeingの質問箱で受け取り、うーん…と立ち止まってしまった。

わたしはいただいた言葉にはまあ賛成ではある。自分を幸せにするのには勇気がいる。でもその勇気を持つ。自分が自分をいちばん大切にしていくことからはじまると思う。

でも一方で、この匿名質問をわたしのTwitter上には載せられない、と思った。載せるのが怖かった。あらためてそれがなぜ怖かったのか、「自分が自分を一番大切に"しなきゃいけない"」という言葉を載せたくなかったのかを、noteに書きたいなと思う。

1年前、ある人からこんなLINEを受け取ったことがある。

「"自分が幸せになるということが許されない"という感覚があるんです。自分がご飯食べたり笑ったりとか許されないはず、という。幸せになるために人は頑張るんだと思うんですけど、わたしはそこに向かえない。」

暗い部屋で煌々と光るスマホの画面にこの文字が映し出された時、目が離せなくなってしまった。(掲載の許可は御本人からいただいています。)

実は、使う言葉は違うけれど、同じような言葉をたくさんの人からLINEやDMで受け取ることが多かった。なかには"境界性人格障害"という言葉で診断された方もいらっしゃったけど、ほんとうにひとりひとり状況は異なっていてグラデーションだなと思う。

「自分は◯◯をする資格がない」

前にブログでこの漫画を紹介したことがある。作者である永田カビさんが、さまざまな生きづらさを持ちながら日本社会で生きるなかで、いままで抑え込まれてきた自分を解放してレズビアン風俗に行った、というノンフィクションである。そこには、こんな描写があった。

ところで私の身長は167cmなのだが、当時体重は38kgだった。とにかくお腹が空かなかったのと、自分には物を食べる資格がないと思っていた。他にも「自分は◯◯をする資格がない/◯◯したら恐ろしいバチがあたる」シリーズは今もあるし、まだ気づけてないものもあると思う。 でも、ボロボロになっていく事はうれしかった。傷つくことで何かが免除され、人が私を承認するハードルが下がり、居場所がもらえると思っていた。

条件つきでしか愛されなかった経験や、周囲の期待どおりであることを強いられてきた経験など、さまざまなことが合わさって、「自分は◯◯をする資格がない」という考えにいたってしまう。それは思い込みと言われるものだけど、渦中にいる当人にとっては経験に基づいた大きな真実になってしまう。

思い込みというのは、メンタルモデルと言ったりもするけど、生育環境や経験でだれしもあるもので、わたしも気がついていないものもたくさんある。しかし、それが生活や人間関係に相当な支障が出る形で表にあらわれてしまう人がいる。

2012年に母娘の関係と自立までを描いたルポ漫画『母がしんどい』を出版した田房永子さんは、web対談でこんなふうに話していた。

自分が思っていることを自分自身で否定したり抑圧してると、知らない内に他人を攻撃したりしちゃいますからね。小さい頃から自由な発想や素直な気持ちを禁止されて育つと、大人になっても自分自身に“禁止”しつづけるのが癖になっちゃう。この禁止を解くことが、解毒につながると思います。
“毒親”に悩む男性は少ない!?『母がしんどい』×『ゆがみちゃん』、話題の毒親マンガ家対談

「知らない内に他人を攻撃する」ということも、「傷つくと免除され、人から承認されるハードルが下がるはず」ということも、どちらも似ていて、他者にいろんなものを求めすぎてしまう。その結果やはり他者が離れてしまい、人間不信になってしまったというお話を聞く。胸が痛かった。

はじめて自分にマルがつけられた

禁止を解くために、田房さんは「自分のなかに100%味方の小さい自分がいる」という表現をする。「世間が親の味方なら、自分で自分を救い出さなきゃと思った」と。この言葉にたどり着くまでに、目もくらむほどの葛藤があったことは言うまでもない。

永田さんも自分で自分を大切にできていなかったんだと気づいて、「自分の味方の自分」を取り戻そうとする。永田さんは少しずつ足を動かして、人に会って、だんだんと自分を表現するようになる。

彼女にとってのいちばんの思い込みは「性的なことなど考えてはいけない」で、レズビアン風俗に行くことを現実的に考えるようになってから大きな変化が起きる。

数年ぶりに腕、脚、腰を脱毛し、股間もつるつるにし、筋トレも再開した。風呂に毎日入るようになった。服も下着も毎日着替えるようになった。穴が空いたり破れたりした下着や靴下を使い続けなくなった。そういうことが時間も手間もお金もかかることだと初めて知る。それは「自分の為に」時間や手間やお金を使う事で。自分をきれいに保つ事は自分を大切にする事だと思った。自分で自分を大切にできると、周囲の人も快適だし、全面的に他人に頼るとなかなか難しいし他人に負担だ。自分を自分で大事にしていたほうがいろいろ効率が良くて自分にも他人にもよいのに、今までずっとできていなかった。

あまりの変化に読んでいるほうが唖然とする。もちろんこの変化は行きつ戻りつですべてがまるっとよくなったとかそういうわけじゃないけど、自分で自分を大切にする、という行為の重たさに気がつく。

私にLINEで相談をくれた彼女も、いまはご飯も食べるようになって、お化粧をするようになって「あ、自分はきれいになってもいいんだってかんじで、初めて自分にマルがつけられた」と話している。彼女はこんなふうに話す。

でもここに来るまでに数年かかりました。前に『自分を幸せにする勇気』っていう本の広告を読んで、そうだよなって思ったんです。本のタイトルはいいんですよ。いい本なんですけど、その広告の感想に、"自分が自分を幸せにするために行動しなければならない"という一文があって”うっ"ってなっちゃって。TwitterとかInstagramを見ていると、自分を一番幸せにするのは自分だ!行動しなくちゃ!自分がよりよいようにしなくちゃ!っていう言葉があって、すごく圧迫感がある。焦りっていうんですか

自分が自分を幸せにする、ということは、田房さんも永田さんもたどり着いたプロセスで、真実なのだと思う。だけど、そこに至るまでに想像を絶するほどの葛藤と苦悩があった。
その渦中にいるときに"自分が自分を大切にしなくちゃ!"という言葉が目に触れると、とてもきついと思う。だからわたしは、冒頭の匿名質問を掲載することをためらってしまった。

自分の経験は一般化したくなる。たしかにそれで救われたからだ。でもそれはあなたが直面した現実であって、だれかが直面している現実とは違う。似てるかもしれないけど、違うかもしれない。

だから一般化したり、禁止言葉にせずに、あくまで自分の経験は自分の経験として語ることができたら、きっとだれかがそれをやんわりと受け取って力に変えてくれると思う。

いいなと思ったら応援しよう!

入谷佐知さっちん
サポートも嬉しいのですが、孤立しやすい若者(13-25歳)にむけて、セーフティネットと機会を届けている認定NPO法人D×P(ディーピー)に寄付していただけたら嬉しいです!寄付はこちらから↓ https://www.dreampossibility.com/supporter/