「あなたの書いた文章は読まない。」-アバターとしてのわたしと、自己分裂の防ぎかた。
「さっちんはさっちんだから、さっちんの書いた文章は読まない」
と言ってくれる友人がいて、すごくありがたいなと思った。
その言葉から寂しさや悲しさは感じず、単純に嬉しいなと思った。わたしが丹精こめて書いた文章を読んでいる方がありがたくないというわけではない。文章を読んでもらえるのはものすごく嬉しい。こんなに嬉しいことはない!ってくらい嬉しい。
でも、自分が表現したものはやっぱり自分の一部を切り取っただけのものなので、「自分にとって、目の前にいるあなたがあなただ」ときっぱりと言う人がいるのはとてもありがたかった。
アバターとしての自分
わたしにとって、インターネット上の「さっちん」はいわばアバターのようなものだ。不思議とわたし自身も、アバターである「さっちん」ならこういうときこういう発言をするかなぁ、と思いながら文章を書いているところがある。
今日ツイッターでしたこの発言もそうで、
間違いなく入谷佐知としての心からの本心なんだけど、わたし本人の考えは実際のところグラデーションだ。読み手次第では「そんな大義名分掲げてるなら被災地にいるひとのために動かなくてどうすんねん」とか言いたい自分も2パーセントくらいいる。笑。ほんとに相手次第だけど。
インターネット上には人を思いつめさせる情報が溢れてるし、たくさんの情報に触れて苦しい人もいるから、ちがう言葉を発言するアカウントでいたいと思う。誰かを追い込まず、でも明日を生きていけるような発信がしたい。熱くもなく冷たくもなく、常温の情報発信がしたい。それがわたしのインターネットにおけるスタンスだし、そうして切り取られたアバターが「さっちん」である。これからもわたしは「さっちん」として発信を続けていくと思う。
もちろんわたしはわたしだから、ちょくちょく「さっちん」っぽくない発言もしていくと思う。どんどん人間もインターネット社会も変化するから、それにあわせてアバターとしての「さっちん」も成長するのだと思う。
インターネットで発言することによる自己分裂
そのときに、インターネット上の自分とリアルな自分があいまって自己分裂してしまうことが往々にして起こってしまうと思う。以前Voicyでも紹介したが、京都精華大学の佐々木中先生のインタビューにこんな言葉がある。(僭越ながら切り取らせていただく)
TwitterやFacebookでは、第三者の目があるところで“見せたい自分”だけを言葉にします。思ってもいないことを書いていても、人の目がある以上はそれが自分だということになってしまう。そうすると自分がとても低レベルな水準で分裂してしまうので、だんだんおかしくなる。これはね、実はある意味で自傷行為なのです。
(略)
そうではなくって、誰にも見せないでひとりでノートに書き続けるとね、「思ってもみないこと」を自分が考えていたことを発見できる。「思ってもいない」のに不特定多数に向けて書いてしまったことにからめとられ、自縄自縛になるのではなく、「思ってもみなかったこと」が自分のなかにあることを「発見」するわけです。これはものすごく重要な違いです。SNSは「戦術的」に使うべきで、そしてその「戦術」は一時的なものでしかない。その人の本質とは実は何の関係もないのですよ。
繰り返しますが、文字は人類史規模ではほとんど最新の武器ですから、取り扱いには注意が必要なのです。使い方を間違えて振り回すと自分の身を切ることになりますよ。
京都精華大学 佐々木中先生インタビュー
佐々木先生が指摘しているのは、書くということは思いもよらぬ自分と出会う行為だから、「誰かに見られる状態で書く」ということを続けると、自分にとっても思いもよらぬ言葉が、他者から「それがあなたなのね」と認識されるということとセットになる。よって逆に自分のその言葉に絡め取られて動けなくなってしまう、ということが起こってしまうよね、ということ。
だから、誰にも見られない自分のためだけの文章を書く時間は、ただ純粋に「こんな自分もいたんだ」という発見になるだけで、その言葉によって自分が絡め取られることもなくなる。
わたしは実は毎日、自分だけが読む自分のためだけの文章を書いている。その時その場で思いついたこと、思っていること、感じていることをひたすら文字にしていく。ルールは「手をとめないこと」で、ひたすら5分間手をとめずに書く。だから醜い自分にも汚い自分にも、思っていた以上に清廉潔白な自分にもどんどん出会っていく。書き終えるとすっきりするので、「じゃあSNSやnoteをどう使ってやろうかな」という気持ちになる。わたしはそれで自己分裂を防いでいるし、noteやVoicyやTwitter、Facebookで出会うアバターとしての自分を割と冷静に見つめている。インターネットでの発言はわたしの本質とは関係ない。「わたしは、わたしだ」といつも思っている。そう思えているのは自分のためだけの文章があるからだ。
だけど、周囲から「目の前にいるあなたがあなただよ」と言われるのはレアケースだ。「あなたの文章は読まない。なぜなら自分にとって目の前にいるあなたがあなただから」と面と向かって言われるのはもっともっとレアケースだ。
いつも自分で自分を救ってきた。でもごく稀に、期待してなかったのに突然だれかから救われることもある。人生ってこんな色鮮やかなことが起こるもんなんだな。
追記)
わたしがおすすめする文章に関する書籍、まとめますね。よかったら買って読んでみてください。山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く!』がいちばんわかりやすくて入門書。”手をとめずに書く”は『魂の文章術』を読んではじめました。もっと勉強したい場合はバーバラ・ミントさんの本を。
『魂の文章術-書くことから始めよう』ナタリー・ゴールドバーク 春秋社
『伝わる・揺さぶる!文章を書く!』山田ズーニー PHP研究所
『考える技術・書く技術』バーバラ・ミント ダイヤモンド社