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#15 「ママじゃなくていい」をいかに作るか 〜今日のまとめや

5歳2歳の子育てをしていて。

最近やっと少し思えるようになってきていること。
それが、「ママじゃなくていい」の状態。

ママじゃなくてもいいということは、パパがいいかもしれないし、じいじばあばがいいかもしれないし、お隣さんでもいい、なのかもしれない。

どれくらいの人が、

どちらかというと、「ママじゃなくてもいい」状態を作るのに必要なのは、
ママであるわたし自身が、「ママじゃなくてもいいよね」と思えることだったのではないかとふと思った。


わたし自身、「ママじゃなくてもいい」状態が作れずに、何かがあれば仕事を切り上げて迎えにいくのはママ。夜寝る時横にいるのはママ。お風呂上がりの薬を塗るのはママ。薬を与えるのはママ。保育園の準備をするのはママ。ご飯を食べさせるところまでマネジメントするのはママ。

と、なぜかママじゃなきゃいけない役割が無限にあるなと思っていた。
と、同時に、ママじゃなきゃいけない役割を無限に発生させていた。

今、いろいろ手放してみると・・・
実家にいて仕事時間に娘たちを見てもらっている時は、じいじがお風呂に入れてくれて、ばあばがあげてくれる。ご飯を食べさせて歯磨きをしてくれる日もある。

隔週で家事代行をお願いしているうえちゃんのご飯が日々のストックで。我が家の味はうえちゃんのご飯の味になっている。

最初こそは抵抗があったり、抵抗されたり、いまだに寝る時はママじゃなきゃだめな状況はあるのだけれど・・・かなり多くの部分について、ママじゃなくても大丈夫になってきた気がした。


で、この状況になってみたときに思ったのは、抵抗していたのは、娘というよりは、「ママ」であるわたしだったのではということだった。

ママじゃなくてもいいとなってしまうと、ママとしてのわたしのアイデンティティやプライドは無くなってしまう・・・みたいな感があった。
きっとそれは、自分が母にしてもらったことを踏まえて、ママの価値とかこうあるべきだがしっかりあったからだと思う。
そう思うと、時代も違うし、生き方も大きく違っている。

この小さな「ママとはこうあるべき」をわたし自身が強く持ってしまっていることによって、子どもに「ママがいい〜〜!!」と言わせるための光線を送っていたのではないかと思うようになりました。

道半ばだけれど・・・右側をより目指していきたいと思ったのでした。

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