原爆の記憶を未来へ - 被爆者のお話から学ぶ平和の大切さ
はじめに
暑い毎日が続きますね。
今日は、私が最近参加した「今しか聞けない被爆者のおはなし」という平和学習会について、原爆や戦争についてあまり詳しくない方々にも分かりやすくお伝えしたいと思います。
「突然、原爆の話をして、なぜだろう?」
こんな風に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
長崎で生まれ育ち、戦争体験者や被爆者の方々から直接お話を伺う機会に恵まれた私だからこそ、皆さまに伝えたいことがあると感じています。
原爆とは
まず、原爆(げんばく)について簡単に説明します。
原爆とは、原子核分裂の連鎖反応を利用した爆弾で、1945年8月6日に広島、8月9日長崎に落とされました。
その破壊力と放射線の影響は甚大で、多くの命が一瞬にして奪われ、生き残った人々も長年にわたり苦しみました。
現在も広島に原爆が投下された8月6日の午前8時15分と、長崎に原爆が投下された8月9日の午前11時2分にはサイレンを合図に1分間の黙とうをささげています。
学習会の概要
今回の学習会では、長崎で被爆された三田村静子さんと田中安次郎さんのお2人がお話をしてくださいました。
お2人とも被爆当時はわずか3歳。
私は息子と一緒に参加しました。
参加への葛藤
正直に言うと、原爆の話を聞くのは怖いと感じていました。
私が子どもの頃、学校で見た被爆者の写真や、『はだしのゲン』というアニメを思い出すと、今でも胸が痛みます。
戦争体験を語ってくださるということは、心に深く刻まれた苦しみを再び呼び覚ますことになりかねない、そんな行為だと私は思います。
それでも、次の世代に二度とこのような悲劇を繰り返さないために、自身の体験を語ってくださる。
その覚悟に、私はただただ敬意を表するばかり。聞きにいかないという選択肢はありませんでした。
被爆者のお話
紙芝居『ふりそでの少女』と黒焦げの少年
三田村静子さんは紙芝居を通して平和の大切さを伝えてくださいました。「平和な時代なら、家族と楽しく過ごせる。食事も取れる。友達と遊べる。学校に行ける。夢を追える。」という言葉が心に響きました。
『もし、平和な時代がなかったら、どんな毎日を送っていたのだろう?』
当たり前に思っていた幸せが、実はとても貴重なものだと気づかされました。
被爆の証言
田中安次郎さんは、被爆体験や後遺症について語ってくださいました。
特に印象に残ったのは、原爆投下直後の長崎駅の写真を見せながらおっしゃったこの言葉。
生きるも死ぬもままならない、そんな絶望的な状況を写し出した長崎駅の写真。安次郎さんは、この写真を見せながら、こう語られました。
「人間らしく生きることも死ぬこともできない。こんな写真を撮られるようなことが二度とあってはならない。」
その言葉には、深い悲しみと、未来への切実な願いが込められていました。
平和の意味を考える
この学習会を通じて、私たちが日々当たり前のように過ごしている平和な日常がいかに貴重かを実感しました。
「平和とは、なんでもない当たり前の平凡な日々の連続」なのです。
現在の世界情勢
しかし、現在も世界中で戦争は続いています。
さらに驚くべきことに、2024年現在、地球上には9,583発もの核ミサイルがあるそうです。
これは人類を3回滅ぼせるほどの量だと聞きました。
私たちにできること
私たちにできることは何でしょうか?
まずは、被爆者の方々の体験を聞き、その記憶を次の世代に伝えていくことです。
そして、平和の大切さを日々感じながら生活することなのではないでしょうか。
まとめ:「地球上のどこも戦争してないよ」という平和な世界に向けて
地球上のどこも戦争がない、そんな当たり前の日常を想像してみてください。
それは、私たち一人ひとりが、平和のために小さな一歩を踏み出すことで、必ず実現できる未来です。
例えば、笑顔で挨拶を交わしたり、困っている人を助けたり、多様な価値観を受け入れること。こうした小さな積み重ねが、大きな平和へとつながっていきます。
未来の子供たちへ、笑顔あふれる世界をプレゼントしたい。
そんな思いを込めて今回の記事を書きました。
一人でも多くの方の心に届いたら嬉しいです。
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