春よ、来い。 |映画ログ『四月物語』(岩井俊二、1998)
時は、一年を通して変わらず流れているのに、
四月になると、人は楔を打って、変わろうとする。
お尻がムズムズする忙しさと、時の手綱が波打つ高揚感。
そんな日本の四月を味うには、この一本だと思う。
初主演を務めた松たか子の瑞瑞しさもさることながら、オープニングのクレジットタイトル直後のシーンに心奪われる。
霞むほどに降りしきる桜の幕から現れるのは、
おごぞかにタクシーに乗り込む花嫁一家。
あたふたとバックする引越しトラック。
そわそわと花嫁を覗き込む女子中学生。
かぱかぱとランドセルを揺らして駆ける新一年生。
たった数十秒のシーンのなかで、幾多もの門出や出発が交差する。
"新たな行き先"という空間/時間双方の奥行きに誘われる、このシーンがたまらなく好きだ。
前衛映画のパイオニアでもあったマヤ・デレン(1917-1961)は、映画と時間の関係について、端的な、しかし示唆深い言葉を残している。
映画は、(中略)新たな時間と空間の関係を創造し、目の前に見える現実を、議論の余地のない衝撃をもたらしながら上映するというユニークな機能を備えた時空間芸術なのです。
マヤ・デレン「芸術形式としての映画」
(金子遊[編]「フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方」アーツアンドクラフツ、2011年、p.36)
まさに、このシーンがもたらす爽やかな衝撃は、関連するはずのなかった時間どうしを交差させること(マヤ・デレンに言わせれば、宇宙の星座を描くこと)にあると思う。
赤の他人同士の時間が交錯し、ひとつの空間上に融解すること。それは、スクリーン上の名もなき人々どうしの関係でもあり、観客と彼らの関係でもある。
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この一年、春も夏も秋も、いつのまにか終わっていた。次の春こそは、ゆらゆら舞う桜に浮き足立ちながら、道ゆく人の門出を心から祝いたい。春を夢見る全ての人に、この作品をおすすめしたい。
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