大人によって態度を変える子。舐められてもいい。


生きづらさを抱えた子の本当の発達支援 (これからの保育シリーズ10) https://amzn.asia/d/cYkAB4j

前回からの続きで、こちらの本から。

こんな記述がありました。

「いけないことは教える」は良いのですが、受け入れられ愛された思いや自尊心が育っていないと、幾ら教えても上滑りするのです。
結果として恐い先生の前でだけ言うことを聞く子になります。自分の力で考え行動するのではなく恐怖に支配されて行動することを学ぶからです。
その一方で優しい先生には爪を立てるのはストレスが溜まっていることを示します。

ー中略ー

車椅子や白杖などの「障がい」児にはしないようなことを、発達「障がい」などの子どもにはしている可能性があります。
配慮点が見た目で分かりにくい子ども達は身近な大人から理不尽な扱いを受けている可能性があります。
これが生きづらさを抱える子ども達の悲劇であり修正を二重に難しくさせています。



私は、よく子どもから爪を立てられる側の大人でした。
「あの先生の前では、いい子なのに、なんで…」
って、思っていました。
「あの先生は、ちゃんと怒るし、信頼しているんだろうな。私は信頼されてないのかな。」
と思う時もありました。
でも、そうやって先生によって態度を変えてくる子どもは、(多少の変化ではなく、明らかに舐めた態度やわがままな態度をとってくる)
普段の生活の中でどこか抑圧されていたり、我慢していたり、不満を持っていたりしてストレスを感じているように見えました。
抑圧されている分、出しても大丈夫だと思う大人には、抑制が出来なくなってしまうんです。
子どもにとって、それで精神のバランスを取っているようでした。

よく、支援や教育の現場で
「子どもに舐められたらいけない」
という言葉を耳にしました。
私が舐められやすいタイプだったのでなおさらかもしれません。
たしかに、子どもを指導する立場として舐められたら、言うことを聞いてもらえなくなります。
でも、優しい大人が舐められないようにと思ってふるまうほど、恐怖で支配することになり、子どもにとって、
気の抜きどころのない世界になってしまわないだろうか?
そう思っていました。

特に目に見えない障がいの子は、普段から本人からみると「とても理不尽な」扱いを大人から受けていることが多々あります。

次の文章にもぐっときました。

未来の姿を基準として保育や教育を考え、そこに子どもをはめ込むことが大切だと考える先生がいるとしたら、それは誤りです。
子どもの未来は一人ひとりが自分のペースで切り拓いていくものです。今を精一杯生きること、関わりの中で喜びや楽しみが沢山ある毎日が大切なのです。


「もう◯歳だから甘やかしたらいけない」
「将来困るから厳しく言わないと」
それって、幻想なのかなって思います。

「今」のその子の気持ちや欲求を受け止め、
一緒に分かち合うことが、
その子の精神を安定させ、その積み重ねが土台となり、自立して生きていく力を育んでいくのではないかな、と思います。

いいなと思ったら応援しよう!

sachico
よろしければ、サポートをお願いいたします。いただいたサポートは、大切に大切に、生活費として使わせていただきます。