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売られてたかもよ

「あんた売られたかもよ」
ふと思い出した言葉

よみがえってきたこの言葉は私自身に向けられたものである。

この話には私を育ててくれた伯母夫婦がかかわっている
伯父の話はこちら

文章の中にもあるが、幼少期父と母の離婚により伯母夫婦が育ててくれた。

というのも、母親が今でいう〇金に多額の借金をしてらしい。
じつは取り立てに来るおじさんたちを覚えている。
階段の隙間からこっそり見ていた。

もう45年も前の話なので、今のような法律とは違うわけで伯父は本当に何かあってはいけないと〇金に掛け合ってくれていた。
伯父はこの話は詳しくしなかったので本当のところはわからない。この話は伯母がしてくれた。その時私は「なるほどそういう場所があってそういうところに行ったら、TVドラマみたいなことになるんじゃ」くらいに考えていた。

でも興味本位で一度聞いてみたことがある。
「伯父ちゃん、こんな思いして面倒見てくれたん?」
「おーまあの。あのままじゃおえんからの。お前はちゃんとしろ」とだけ

やっぱり言わない。伯父は子供には言いたくなかったのかも?

でも、もしあの時伯父が掛け合ったり、引き取ってくれなかったらどうなっていたんだろう?とゾッとすることがある。昔のことだしね。分からない。今、沢山の親子さんを支援させて頂いており、私は運が良かったというよりどれだけ回りに助けられて産まれて生きてこれたんだろう。と有難いと言葉では薄ぺっらく感じてしまう。

きっと神様は私に生きている課題を与えるために、このような人生経験を積ませ、今度は自分に向けられた愛情を沢山の方へ恩送りするために
今の仕事をすることにしたのかもしれない。

その恩送りの仕事が


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