心のチクッは成長のチャンス
皆さんこんにちは。
バリ島からメディテーションヒーラーのさっちゃんです。
今日はあなたが成長する時はこのタイミングしかない!
という大事なお話をしたいと思います。
私は、人は自分以外の人との摩擦の中でしか成長ができないと思っています。
何故なら自分は自分一人では絶対に見えない盲点があるからです。
その盲点はどんなに勉強をしても、どんなに自分が自分と向き合ってもみる事ができないのです。
じゃあどうやってそれが見えるようになるのか?
それは他人にがもたらしてくれます。
人は鏡なんてよく言いますが、皆実はそれを軽い気持ちでしか見ていなくて、相手の嫌なところが自分にもあるんだな気を付けよう、位な気持ちで見ていると思います。
そしてしばらくしたら忘れてしまうと思うんですよね。
これ、昔の私がそうでしたから。
誤解を恐れずに言うと、私は(犯罪を除いて)日常生活において「被害者」という言葉はないと思っています。
友人Aさんにこんなことをされた、こんなことを言われた
だから私は被害者なんです
それ、本当にそうなのかな・・・・?
その相手を悪者にして自分は逃げているだけじゃないのかな?
喧嘩両成敗って言うけれど、私はお互いの改善すべき点がその相手によって表に出ただけだと思うんです。
だからどちらか一方が悪いのではなく、お互いの「負」の部分が化学反応によって目に見える形で表れてくれた。
私は基本どんなに誰かと喧嘩をしても相手の事を嫌いになりません。
それは必ずその人から学ぶことがあるから。
だから逃げません。
でも世の中には逃げていく人が沢山います。
逃げちゃダメと言っているわけではありません。
その時の自分には荷が重すぎる時は一時的には逃げても良いと思います。
でも必ずその出来事から必ずあなたが学ぶべきことがあるはずなのです。
そしてその課題がクリアーできると、相手に感謝の気持ちが湧いてきます。
他人とぶつかることでしか、自分の魂は成長できないと私は思っています。
だからその機会を逃してしまうのって勿体ないと思いませんか?
私はもったいないなって思います。
その昔、友人が私のもとから離れて行った時、その当時はこんな心や思考の事がわからなく、ただ「私の何が悪かったんだろう?」って自分を責めていました。
でも知識と経験を得た今、離れていく友人を見ると「残念だな」って思います。今がまさに成長できるチャンスなのにって。
それは自分を正当化するためではありません。
自分もその経験から学ぶことがあるからお互い様なのです。
人と人がぶつかる時って少なくともお互いの心がチクッとすると思うんです。それこそが成長の合図だと思います。
もしも昔の私とは逆に、相手を責めて「相手が悪い!」と思ってしまう癖のある人は、逆に自分が成長すべきところをちゃんと見つめてみてください。
そして自分を責めてしまう癖のある人は、責めるのではなくて、その経験から自分に与えられている課題は何かな?って考えてみてください。
どちらか一方が悪いわけではありません。
両方に学びがある、それだけです。