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消えそうな食欲の火種、感じられる眼前のごはんの匂い

インターネットに匂い・香り機能がなくてよかったと初めて思いました。
香りさえインターネットで満たされてしまったら、きっと私は食べることを止めることができてしまう。そんな無気力感と諦観で動き出せないとき、食べることを止めずに、まずキッチンに立とう。箸を持とう。
そう思わせてくれる方のYouTubeに出会い、動画を見ながらご飯を準備するときがあります。

悪い夢を見て目覚めると、頭の中のいちばん目に近いところで見させられていた嫌なことが思考に張り付いて食べることなんて忘れてしまうことがありませんか。気分が下がった時も同じくです。
食欲はどこに置いてきたんだろう…あれ、もうこんな時間…何食べたいんだろうわたし…てかおなかすいてない…でも体も脳も欲しているはず…

出来上がった料理をカメラに向ける彼の、まだ食べていないのにもう満たされているようなお顔をタップして動画を開き、私もご飯を温めたり箸を取り出したりすることから始めます。

夜が深まり切ってもうほぼ朝という時間帯、または12時間以上なにも食べていない状態など、とにかく彼はおなかをすかせている様子。それを見ている私も同じようにおなかをすかせている頃合いなのだけれども感覚がないのです。寂しいものですね。
でもとにもかくにも今は準備を最短時間で終わらせよう、彼の調理が終わる前に、と感じられない感覚のことは端において、栄養素とその日の後のメニューに重複しないものは何かについて思考の光を当て動きます。とても前向き。

彼の動画が私の食事を進めさせてくれる理由は、「食べたい」「おなかがすいた」と彼が強く望んでキッチンに立っていることでしょう。
嫌な事が頭と心を占めていて食欲も感じさせてくれないとき、無理をして頑張って食欲を起こすのではなく、本来ならばあなたも持っているんだよ、たまたま今回は持ち合わせていないだけで、と今の状況を肯定して思い出させてくれるのです。

食欲を感じられないことは寂しいしつらいけれど、なくなってはいない。
見て刺激されて、煙を立たせてもらえたらその炎は消えていないのです。

食べることを諦めることは、生きることを放棄することと近しいためしたくない。
だけれども気力がわかず視線が下がって動けない。食べることを止めそうだ。
食欲旺盛で前向きにキッチンに立つ彼の様子は、なんとか、なにかを食べようとしている一抹の理性と火種を持っている私を盛り立ててくれます。

画面の中の彼はにんにく・バターなどガツンとした香りとパワーのある調味料をよく使います。調理工程は簡単かつ清潔なところがまた出来上がった味を想像しやすくさせて、私の目の前の食事を前に進めてくれます。

にんにくバターはできないけれど、卵にめんつゆかけちゃおう。
ペペロンチーノを作る気力はないけれど、辛いインスタントラーメン食べちゃおう。お湯沸かしちゃおう。
牛乳味噌ラーメン、いつか作ろう。今回は牛乳飲むだけだなあ。

食べることを止めようとしていた自分に、おいしく食べること、おなかがすいていることを抵抗なく思い出させ、いつの間にか箸を持っています。自力では難しいけれど、他力を借りて生活することもひとつのテクニックなのですね。

眼前にあるあたためたごはんの匂い、調味料の香りはわたしのもので、食べようとしたから感じられるものなのだ。
だから、彼がにんにくバターをたくさん使ったごはんの匂いを私は嗅ぐことができない。
彼が食べたくて作ったごはんだから。画面越しなのだから。

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