逃げるのは全然悪いことじゃないと思うの
逃げちゃダメだ と言われてる気がする。
誰に言われたわけでもないけど、なんだかよくわからないモワモワした大きなものにそう言われてる気がする。これがいわゆる“世間”ってやつなのだろうか。
学校を休んじゃダメだ。
就職しなきゃダメだ。
仕事に行かなきゃダメだ。
ずっとそうやって何者かに追われて、急かされて生きてきた気がする。
いったい私は何に追われていたんだろう。
高校で病んでた頃、出席日数が足りなくて、このまま卒業できなかったら人生が終わるんだろうと思っていた。毎朝の記憶が無くて、気付くと昼過ぎになっていたような、そんな毎日がそこそこ続いて。
実際卒業なんてできなくても、それはそれでまた別の道はあったのかもしれないと今なら思える。でもその時の私にとっては学校が世界の全てだった。
なんとか綱渡りで卒業できちゃって大学にも入れたので、そのまた“別の道”を垣間見ることはなかったのだけど。
そして学生になってね。
「大学は人生の夏休み」なんていう言葉があって、当時は真に受けてたわ。今思うとほんとクソみてえな言葉だなって思うけど。大学卒業したらもうそっからの人生消耗戦ですよ ってことかい。そりゃあ死にたくもなるわ。
そして就活して就職して。
大人は「社会人になったら遊べなくなるから今のうちに遊んどけ」とか言ってた 別に遊びに興味も無かったけど。
儚い学生生活の終わりを憂うように、夏の終わりに蝉が鳴き散らかすみたいな? 今思ったけどこれってまるで処刑前の“最期の晩餐” みたいね。
この国のレールは、連結部分とか分岐点とかそういうところに差し掛かると急に首が絞まるような、そんな仕組みになってるようで。
そして社会人になった。
なったらなったで結局苦しかった。
機械がやればいいような仕事を人間が永遠とやって、こんなことを続けてるからこの国はダメなんだよとか思ってた。でもそのうち本当に心が死んできた。このままここにいたら何も感じない機械になってしまうぞと思った。
辞めようと思っても、やっぱりモワモワした大きなものが常にいて「仕事をやめたらお前は終わりだ」 とか言っていた。生身の人間に批判されたこともちょっとはあって、それが全世界の私への評価だと思いがちだった。
まあ自分で自分を縛ってただけなんですけどね。でも世間に批判されている気がしてしまってたんですよ。私が創り出した“世間”っていう怪物に。
学校を休んじゃダメだ。
就職しなきゃダメだ。
仕事に行かなきゃダメだ。
いつになったらこの追われ急かされの人生から抜け出せるのだ。
もういい加減こんなレースは降りたい。
そう思うようになって、逃げてみた。
まあ平べったく言うと仕事を辞めたってだけなんですけど。
そしたら心が楽になった。
あれほど頭の大部分を占領してた仕事のこととか職場の人のこととかクソほどどうでもよくなった。そして「あ、ほんとどうでも良かったんだな」って気づいた。
別に全てが解決するとかそんなはずは無く、またお金の心配が始まったり色々あるわけだけど。それでもストレスが無くなったのはデカい。そして段々、自分が楽しいことを考えられるようになって、子供の頃の自分に戻っていくような感覚を感じている。
最近は、早いことレールから外れちゃってた方が近道だったのかもしれないなあ なんて思う。私、不器用なのに変に要領よくこなせちゃうところもあるせいで、レールから外れるのに時間かかったね。
大体なんで「逃げちゃダメ」なんて言うんだろうか。苦しいのに逃げなかったら死ぬよ。野生動物が危険を感じて逃げるのは本能でしょ。逃げなかったら死ぬから。苦しいのに逃げちゃダメだなんて言うの、人間だけなんじゃなかろうか。
野生を押し殺して合わない環境に無理やり自分を閉じ込めて、そんなことしてたら人としての感性が死んじゃうよ。もっと自分の嗅覚信じて、感じるままに生きてこう。そう思いませんか。
だから結局何が言いたいのかって言うと特に何言いたいわけでもなくて、今はこの文章の終わりをどうやったらカッコよくできるかとか考えてたけど結局グダグダになりそうだから辞めた。
だからまあ、逃げるのは悪いことじゃないと思う。
「これ肌に合わないから変えよう」 っていうそれだけだからね。
逃げるって言い方に後ろめたさを感じるなら、「別の道を開拓」とかそんな言い方をしてみてはいかがでしょうか。開拓ってなんかカッコいい風味でしょ。
逃げて逃げて逃げた先に待ってる景色は多分そんなに悪くない。
なんとなくそう思う、さっこでした。
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