"ないもの"はみない。"あるもの"をみる。
実はこれ、よく夫に言われるセリフである。
長年夫婦をしていると、不満も増える。
ついつい小言が出てしまう。
「お風呂掃除するなら、排水溝までちゃんとやってよ」
「ゴミ出しするなら、次のゴミ袋もセットしてよ」
「柔軟剤は服めがけて入れるんじゃなく、ちゃんと入れるところがあr・・・」
といった具合だ。
夫としては、こう思うらしい。
「排水溝、ほぼお前(妻)の髪の毛やん」
「まず先に、"ゴミ出しありがとう"ちゃうん?」
「柔軟剤入れる場所の説明なんか、受けてないで」
小言が多いと、無論、夫も不機嫌になる。
とはいえ、わたしも今後ちゃんとやって欲しいと思うから指摘するのだが、かなり癇に障ってしまっているようだった。
「職場でも家でもあーじゃこーじゃ言われるのは嫌だ」
そう言われてしまった。
我々夫婦は、そこまで大きな喧嘩を頻繁にする、ということはない。
本気でぶつかったのは過去2〜3回程度である。
互いに、最低限気はつかっている。
喧嘩になるといつも議題にあがるのは、
「ないものをみるのではなく、あるものをみて。」
ということだった。
夫いわく、私はないものねだりが多いらしい。
人の"欠けてるところ"をフォーカスしたって、しんどくなるだけだから、もっと"長けているところ"を見れるようになれたら、幸福度も上がるよと、よく指摘を受ける。
間違いはない。正論である。
まとめていく。
同じ職場の同僚だったり、夫婦や家族だったり、距離が近ければ近い人へほど、不満が増える。
それは仕方のないことだ。
当然の現象である。
事実、高校時代、親友とあまりにも一緒にいすぎた結果、仲が悪くなった。w
(これを親友と呼べるかどうかは別としてw)
相手のことは誰も変えられない。
自分が変えられるのは、自分自身しかいないので、結局自分の思考を変えるしかない。
夫に「お前みたいな思考回路、そりゃ生きずらいよ」と、よく言われる。
難しいことではあるが、思考を変え、視点を変え、"あるもの"を見れるようにする。
そうすれば、少しは生きるのが楽になる。
今回はそんなお話だ。
正直、なかなか凝り固まった思考回路を変えるのは難しい。
しかしそのことを意識しながら、私は、今日も明日も生きていくと思う。
生きづらいのは、自分の思考のせい。
少しでも楽しく生きていきたいと思った。
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