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どこまでを「自分」とするか、考える。

クリスマスが過ぎて急に年末モードになり、ぼんやりと2017年がどんな1年だったかなーと思い返してみた。


今年は、年始から半年間「コルクラボ」に参加して、コミュニティについて勉強をした。

それまでは持っていなかった視野でいろんなものを見て、普段は読まない分野の本を読んで、分析したり議論したり考察したりした。そこに行かないと会えなかったであろうたくさんの人たちと出会うこともできたし、なにより仕事でも遊びでもないその時間はとても楽しいものだった。

そこで勉強をして身についたことはたくさんあったけど、いちばんおもしろかったのは、自分の意思で選びとっていないテーマについて考えたり、他人の視点を借りて世の中を見たりしたことだった。


「世の中をどう見るか」というとき、ある人は世界を変えたいと思っていたり、ある人は業界を見据えていたり、ある人は明日の献立だったりする。

「自分をどう見るか」というとき、ある人は他人からの評価だったり、ある人は過去の経験だったり、ある人は今の自分の気持ちだったりする。

世の中の見方はどこまでズームアウトして引いて構造を捉えるかで、自分の見方は表面からズームインしてどこまで入り込んで感情を捉えるかだ。

「編集」というのはまさにこのことで、その構造と感情の2点両方の、どこにピントを当てるか操作することと、その解像度を調整することだと思っている。


わたしは今まで「自分へのズームイン」だけに興味をもっていたので、自分のことはうるさいくらいよく知っていたのだけど、世間をどう見るかの視点がとても曖昧だった。

みんなで勉強してズームアウトの方法やその見え方を知ったので、それからずっと自分にちょうどいいピントの合う位置を探している。

それはつまり、自分を中心に広げていって「どこまでを自分とするか」という問いだった。

それを考えるとき、自分の範囲が外に向かって広ければ広いほどいいというわけではない。一言でいうとまあ向き不向きだと思う。単に自分にちょうどいいかどうかだけで。


「どこまでを自分とするか」を考えていくと、どこからスタートしても「場所」と「人」の2点がでてきて「どこで、誰と、なにをするか」に行き着く。

「自分と家族がどう楽しくすごすか」も「この街を住みやすくするために何をするか」も「業界を変えるためにどんな仕事をするか」も、ズームアウトの範囲を「家族」「街」「業界」とどこに設定するかの違いだけで、「誰と、どこで、何をすることに時間を使うか」というのは同じだ。


わたしは自分ばかりに目が向いていたけれど、これをきっかけに世間や社会の見方がかわった。「自分が何をするか」ではなく「自分が何をしたら誰がよろこぶのか」と、よろこぶ相手までを「自分のこと」として捉えるようになったし、呼ばれていない必要とされていないところに行くこともなくなった。そして、そのことが結果的に自分をよろこばせることになる。

わたしの場合は、広い範囲の「社会のために」「業界のために」などという視点ではなかなか気持ちが上がらないので、まずは一番身近なところから観察するようにした。

家族、友達、恋人、お店、会社のスタッフやお店のお客さん、それぞれそこから枝分かれした先の関係までを見わたして、わたしは誰をしあわせにできるのか、誰といるとしあわせなのか、ひとつずつ考える。

それが想像できない範囲のことは、仕事にするときっと苦しいからしない方がいいし、近くの範囲でもお互いにしあわせではないのなら、それも苦しいから自分とは関係ないこととして離れたほうがいいと思う。


なんとなく「自分のことはもういいから、人のために力を使いたい」と思っていたときに、「勉強」がその方法を教えてくれた。

人のために力を使うのではなくて、「誰といると自分が活きるのか」が大事だったし、他人や場所によっていろんな自分が引き出されるので、自分のことだけ考えるよりずっとおもしろい。自分ひとりぶんのできることなんてたいしたことないのだから、ワクワクする場所に行ったり、楽しいと思える人と一緒にいたらいいんだなと改めて思った。


「どこまでを自分とするか」

これについてはまだまだ考え中なので、来年も引き続きこのテーマを楽しもう。よかったらみなさんもご一緒に。




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桜林 直子(サクちゃん)
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