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疲れたふたりの、負けねえぞのステーキ

2020年のはじめに世界的なパンデミックが起こり、あらゆる変化に対応し続けた。その年の終わり、わたしたちはほとほと疲れ切っていた。

そんな年末に、友人から「お正月に逃げ恥のスペシャルがあるんだって。一緒に観ようよ」と連絡があった。2016年に放送された大人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のスペシャル版が5年ぶりに放送されるというのだ。それは絶対に観ないとねと盛り上がり、ドラマの放送に合わせて都内のホテルを予約して、ドラマの前に美味しいものを一緒に食べよう。ドラマを観て、ああだこうだと夜中までいろいろ話そう。という世にも素晴らしい計画を立てた。

なるべく人と会う機会を減らし、会食もなくなり、友だちとおしゃべりしたい気持ちにも我慢を重ね抑えていた日々だったので、楽しみも数倍大きかった。

年が明け、約束の日。何を食べようか熟考した結果、浅草にある老舗の洋食屋さんに行くことにした。人気なお店で、そのうえお正月早々開いている店も少ないからか、お店の前には数人の列ができていた。「寒い中ごめんなさいね」と列を整理する店員さんが声をかけてくれたが、並んで待ちながらメニューを眺め、何を食べるかじっくり考えている間にも、すでに楽しい食事の時間ははじまっていた。

ポークソテーにしようか、チキンカツにしようか。洋食屋さんといえばデミグラス系も捨てがたい。それともミックスフライにカニクリームコロッケを追加しちゃう?ちょっと待って、冬限定の牡蠣のグラタンもあるよ。いっそ、ライスの代わりにナポリタンというのはどう?代わりってなに?頭で考えないでお腹に聞いてみたら?いや心に聞くべき?

側から見ればほぼパニック状態かもしれないが、何より至福の時間だ。そして、迷いに迷った末、お正月らしく豪勢にステーキを食べることにした。店内に入り、カウンターに横並びに座ると、そこは厨房ビューの特等席だった。コックさん(という呼び方がここではぴったりだ)たちがきびきび動き、ジュージューと鉄のフライパンで調理する音がなんとも心地よく、暖かい店内で体が温まるのと共に、忙しなく浮き足立った気持ちは落ち着いた。

ほどなくして、小さなサラダとカップに入ったコーンスープが運ばれてくる。とろりとした薄黄色の温かいスープをひとくちいただき、カリカリの四角いクルトンが口にあたると、なんとも言えない嬉しさがこみ上げてきた。「誰かがパンを小さく切ってカリカリに揚げてスープに入れてくれるなんて、そんなことある?天使の仕業じゃん」と言う。友人は、大袈裟だよ、と呆れ半分同意半分という顔で笑うと、その後ぽつりぽつりと話しはじめた。

実は今、とてもややこしいことが起こっていて、その渦中にあるということ。それはこれから先1年くらい続く長丁場になるだろうこと。すごく悲しいけどやるべきことと覚悟は決まっていること。周囲の人への心配が大きいこと。などを少しずつ話してくれた。相談でも弱音をはくでもなく、自分に言い聞かせるように言葉を出していた。

そうか、それは大変だったね。この後もしんどそうだね。何かできることがあれば言ってね。そう言いながら、なんだか妙な力が湧いてくるのを感じていた。

わたしはわたしで、だいぶ大変な1年だった。コロナ禍の影響で、9年間続けたクッキー屋さんの店舗を閉じ、主な収入源を無計画に突然失った。翌年には娘の大学入学を控え、新たな生活がはじまるのに、今後の収入のめどは皆無だった。仕事も生活も頼れるパートナーがいないため、とにかくなんでもひとりで考えて解決しなければいけなかった。闇雲な不安ではなく、常に具体的な困難の中にいた。

さてこれからどうしたものか、と途方に暮れるのにももう飽きてきたところに、友人の困難の話を聞いて、なぜか謎の力が湧いてきたのだ。大変だよねと傷を舐め合うような癒しの力ではなく、それは、やってやるぞ、負けねえぞという怒りに近い熱だった。それぞれの家に篭ってたくさんの我慢をし、これを乗り越えていつかまた楽しい時間を取り戻そう、それまでは辛抱だ、と堪えていたものが、沸々と湧いて出てきたのかもしれない。

お腹がいっぱいになって、ホテルの部屋に戻り、予定通り友人と一緒にドラマを観た。コロナ禍に創られた意味をもったとてもいい作品で、人類へのエールや賛歌という感じがした。ドラマの終盤に「大丈夫だ、世界はまだこんなに美しい」というセリフがあり、グッときた。エールをしっかりと受け取り、このセリフを友人とふたり並んで聞けてよかったなと思った。

そして、さっき謎の力が湧いてきたことを思い出した。大変な者同士の負の力が掛け算されたら正の力になる、という単純なものではないように思う。

ステーキのお肉の力か、調理場で懸命に仕事をする人たちに感化されたか、正月特有の雰囲気のせいか、わからない。ともかく、友人と横に並んであたたかいごはんを食べながら、ゆっくり話をして、労ったり怒ったり笑ったりしていたら、力が湧いてきた。間接的で複合的なエールを受け取ったのだろう。誰かと一緒に、誰かが作ったごはんを食べるのには、そういう力がある。

あの年の初めに、あまり元気ではないふたりが並んでステーキを食べたことを思い出しては「今、あの時よりは元気だな」と確認する。そして、ヨロヨロしながらもちゃんと進んできたのだな、わたしたち偉かったなと思う。そろそろご褒美のステーキを食べに行こうと誘ってみようか。

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この文章は、日清オイリオとnoteで開催する「#元気をもらったあの食事」の参考作品として主催者の依頼により書いたものです。
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桜林 直子(サクちゃん)
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