「分人主義」は、中学生の必須科目にしたらいいと思う。
平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んだ。本の感想や紹介は苦手なので、読んだときの心の動きを、アホみたいにそのままお見せしよう。
「個人」を、さらに分けて「分人」という単位で自分というものを見て、人間関係を考える。ふむ。
一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。
コミュニケーションは他者との共同作業である。会話の内容や口調、気分など、すべては相互作用の中で決定されてゆく。
つまり、人によって態度がちがうのはあたりまえで、「どれが本当の自分だろうか?」と悩む必要はないよ、どれもこれも全部「自分」だよ、という。
え、揺るがない自分、芯のある自分、じゃなくてもいいの?と読み進める。
誰とどうつきあっているかで性格、個性にも変化があるはずだ。個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。
他人や環境によって個性は変化するから、「本当の自分」は、どこかに探しにいって見つかるものでもないよ、と。
そうか、環境につくられるのであれば、環境を選べばいいのかな、と思っていると、こう続く。
自分は、誰と過ごす時間を多く持つべきか?誰と一緒にいる時の自分を、今の自分の基礎にすべきか?
自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。
あ、環境を選ぶんじゃなくて、そこにいる「自分(分人)」を客観的に見れるかどうか、も大事なのか。しかも、いろんな分人がいるからこそ、比べられるからこそ、どの自分がいちばん好きかわかるのか!いろんな自分がいないとわからないのか!と目から鱗。
愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。
ド、ド、ドリカムじゃん!
「すこし気が多いわたしなりに 泣いたり笑ったり わたしらしくあるために くり返した」
「あなたといる時のじぶんがいちばん好き」
(決戦は金曜日/Dreams Come True)
すごいな吉田美和!分人主義ソングじゃん!
いや、そんなことより、この本は14歳くらいで全国民が読んだらいいんじゃないかな。必須図書に認定したらいいんじゃないかな。「14歳のわたしに読ませたい」というのがいちばんの感想だ。
人間関係も、環境も、自分の目に見えているものはひとつかもしれないけど、「自分」ですらひとつじゃない。世界はひとつじゃない。自分は世界にひとつだけの花じゃない。自分は、世界は、花サイドじゃなくて、花を見る目のほうだ。「他人や環境のなかにいる自分をどう見るか」の視点と、「他人や環境をどう見て、自分にどう影響、反映させるか」のレンズとアンテナがあれば、「自分」はコントロール可能だ。
それが早いうちにわかっていると、ものすごく楽だと思う。おとなになるのが、だんだん待ち遠しくなると思う。
まずはうちの14歳に読ませよう。