まるでホストクラブのよう べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第三話「千客万来『一目千本』」【感想記事】#03 #10
どうもこんにちわ。普段はサブスクで見ることのできる、映画・ドラマ・アニメの紹介をしています。さぶみるです。
本日は2025年大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の第三話「千客万来『一目千本』」を見ましたので、その感想を書こうと思う。U-NEXTでNHKオンデマンドに登録しておけば、いつでも見返すことができるのでお勧めです。
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あらすじ
ということで、平賀源内から吉原細見の序を受け取ってから、続きの第三話です。今回は、重三郎が新たに「一目千本」を作り上げるお話であったわけだが、不満強めの回ではあった。
出来上がった吉原細見
無事に出来上がった吉原細見。鱗形屋によって、吉原の忘八らにも披露される。平賀源内の序によって客が再び来るのではないかと期待する一同であった。しかし重三郎の面倒を見ている駿河屋は、重三郎が本作りにうつつを抜かしていると激高する。
田沼意次にも伝わる
平賀源内を通じて、田沼意次にも吉原細見の序が伝わる。編纂者として蔦屋重三郎の名があることを教えられると、「あの有難山の寒烏か」と思い出したように言う。
長谷川平蔵から金をむしり取る
吉原細見は人気を博したものの、吉原へと人を運ぶことはできなかった。そこで重三郎は新たに画を加えた本の作成に取り掛かる。金の工面に苦労した重三郎は、再び花の井と結託し、長谷川平蔵から金をむしり取ることにした。(平蔵は親の遺産を使い切ったらしい涙)
完成した「一目千本」
入銀本によって嬢たちからもお金を回収することに成功した重三郎。彼女らを花に例えて表現することで、読み手に強い興味をひかせることに成功した。重三郎の努力が実り、「一目千本」を目当てに吉原へ多くの人が詰めかけることとなった。一方で、鱗形屋は重三郎の成功に思うところがあるのか…。
重三郎の本づくりの一歩目
「一目千本」と入銀本
「一目千本」とは女郎たちを流行の生け花に例えた。遊女たちに見立てた花同士が「すまひ(相撲)」を取るという趣向で作られた本。劇中で登場する「一目千本」はかなり本物に似せて作られているようで、制作のままならぬ努力を感じた。
入銀本とは、どうやら現代でいうところのクラウドファンディングのようなものらしく、ステークホルダーになる人々が金を出し合うことで本を作っていた、当時では(おそらく)メジャーな手法なのだろう。
正直、入銀本の概念が突然出てきたので、どんな仕組みでどの程度使われていたのかはナレーションが欲しかった。
まるでホストクラブ
お気に入りの女郎を本に少しでも早く登場させるために、金をつぎ込むというのは、ホストクラブやアイドルの選挙権のようなものを感じた。金と色恋というものは、今も昔も変わらないのだと痛感した。
重三郎にとっての初めての製本
重三郎が自ら企画・立案・制作した初めての本になる。ここでやり遂げた達成感や感動といったものが、のちの出版王となる蔦屋重三郎の土台になるのだろう…、と思ったわけだが、案外あっさりと作り上げた感が強い。
与えられる試練の弱さ
物語において成功には試練がつきものだと思っている。試練や代償があることで、より成功が輝き妥当性が増すからである。その視点に立ってみると、今回の話における、重三郎に与えられた試練(駿河屋との一時的な絶縁)と成功(一目千本の人気)のバランスが余りにも府釣り合いであるように思える。
そもそもなぜ画を入れようと思ったのか
これももう少し、重三郎がどう考えたのか表現してほしかった。「吉原細見」で人が呼べないとわかると、すぐに新しい画の入った本を作れないか考えていた。なんというか、もう少しなぜそう考えて、そのような結果に至ったのか見せてほしい。また、人の画の代わりに生け花を使うという考えも、もう少し唐突すぎない感じが良いかと思った。
重三郎は商売の天才なのか
プロモーションにしてもそうである。出来上がった「一目千本」の見本を、客が出入りしてそうな店々に置いていくわけだが、どうしてそのようなことを考え付いたのだろうか。あまりにも突然すぎて、重三郎が商売の天才であるという結論しか思い浮かばなかった。
まとめ
第三話は蔦屋重三郎を語るうえで、重要な話であるように感じたが、別にそんなこともなかった。本づくりにさしたる困難もなくポンポンと進んでいくので、完成して喜ぶ重三郎にあまり共感できなかった。
正直、重三郎のパートよりも田沼意次のパートのほうが緊張感があるし、よっぽど大河しているように感じる。これなら田沼意次メインの大河でもよかったのではないだろうか。
とはいえ、まだ第三話である。この後の話を楽しみにして、来週を待ちたい。
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