田端信太郎さんのこと。
式村比呂です。
今回は、頼まれたわけでもなく唐突に田端信太郎 @tabbata さんのことを他己紹介しようかと思います。
twitterの炎上で知る。
私はビジネスパーソンではないし、マーケッターやプランナーでもないので(この出だし、前の稿でも使った)、その筋ではとても著名なスーパービジネスマンこと田端氏のことは寡聞にして存じ上げませんでした。
知ることになったのは、氏のツイートが炎上し、TLに流れてきたためです。
これから飲食やホテルがバンバン潰れまくると思います。飲食業界やホテル業界の皆さん!勘違いしちゃダメよ。同業者の倒産はBADニュースではありません!まぎれもないGOODニュースです!!なぜなら、競合が減るほど、2−3年後?のコロナ回復局面でが来たときに、有利に残存者利益を得られるから。
世はまさにコロナ禍の自粛まっただ中。
自粛のため、まさに飲食業界やホテル業界、観光業や輸送業が進退窮まっているまっただ中です。
氏のツイートは当然の様に炎上し、不謹慎だの銭ゲバだの非人情だの様々な批判や怒りのご意見が殺到していました。
私はこの文面を読み、いや確かにその通りだけど、今この状況で言うのはどうか?と思いました。
この時点で私には氏の予備知識は何もなかったので、一応目に付いた「田端大学」を検索しました。
ブランド人とは?「〇〇と言えば」の認知で常に白羽の矢が立ち、実力が伴うプロ人材の事。認知だけがブランド人ではない。大事なのは名乗りをあげ、塾長・田端を踏み台に常在戦場なビジネスでいかに結果を出すか。仲間を見つけ、影響を与え続けてのブランド人。コロナ以降の生き残り戦略をゼミスタイルで提供するサロン。
当時のリードがこの文面だったかどうか覚えていませんが、要するに私はプランナーやマーケッターによるセミナーの様な団体をイメージしました。
そのような立場で当時のコロナ禍の状況を敷衍すると、そしてそれを140字でツイートすると、こうなるかもなあとは思っていました。
ですが当時、自粛は強要するのに損害を何一つ補償したり支援したりといった活動を政府も地方自治体も行っていない状況だったこともあり、私などは正直に言うと、この氏の発言にはイラッとしたものです。
とりあえず検索してみた
#コロナ倒産 #コロナ廃業 #コロナ不況
コロナで同業他社が倒産・廃業するのは「良いニュース」な理由とは?〜長い冬を越え、とにかく生き残れ!その先には春が!
34,192 回視聴 •2020/04/14
詳細は動画で知るのが一番ですから知りたい方は一通り動画を見ていただきたいのですが、要するに氏の言っていることは「コロナ禍で苦しい業界の人たちは事業縮小や解雇など、あらゆる知恵を使い生き残れ。生き残った先には、再び需要が回復し、競合他社の減少した商機が待っている」という歴史的な知見な訳です。
田端氏は露悪的に「炎上商法」的な物言いをしてるかも知れませんが、実はその内容というのは、経験や実績や読書や研究で培われた、現代社会においてとても貴重な「知見」な訳です。
田端氏のモチベーションとしては、おそらく
「自身の影響力が及ぶゾーンを創り、そこに関心を持って集まるビジネスパーソンに知見を伝授し、より良い未来を造りたい」
というご本人の言葉そのものなのでしょう。
そのモチベーションを理解しないと、なかなか氏の言動は理解出来ないでしょう。
これからの会社員の教科書
昨年来、田端氏はYoutubeで「田端大学Youtube支店」という動画を配信しています。
実はその動画を私は、暇を見つけてこの炎上以来ちまちまと見てきました。
ほとんどの動画は非常に面白く、有意義なセッションだと感心していました。
そちらで公開された動画は、実は通してみるとこの本を購入する必要がないほど、本人による「動画によるセミナー」として完成されたコンテンツになっています。
ですから私も実は、それほどこの書籍を購入する気はありませんでした。
動画で全部語り尽くしていますので。
ですが、購入する気になったのは、実はアマゾンの低評価に関心が出たからでした。
なんでもなし男 5つ星のうち2.0 囚人のジレンマ
2019年12月19日に日本でレビュー済み Amazonで購入
なんだかんだいって所謂昭和スタイルの上司・顧客への忖度、社内政治って大事だよね、こうやってやろうね、といった内容の本です。こうやって囚人のジレンマのように、他者を出し抜こうと余計なことをし合って結果的に全体の生産性を下げていく人がいる限り、本当の働き方改革は進まないんだろうなと思わされました。
Amazon カスタマー 5つ星のうち1.0 日本の未来は暗いだろうと感じさせる著書
2019年12月31日に日本でレビュー済み
書いてあることが日本の会社で特に必要な技巧であることは同意する。
ただ、それらは何の専門性もない、なんちゃってジェネラリスト社員を量産して世界との競争力を失った日本の元凶ではないか。
Ray 5つ星のうち4.0 昭和的ですが、サラリーマンの現実でもあります
2019年12月26日に日本でレビュー済み Amazonで購入
言わずと知れた有名人、田端さんが、主に新入社員や若手会社員のために書いた、社会人としての考え方や行動の基礎を、あくまでも本音ベースで、でも田端さん特有の軽妙な語り口で説いた本。
いや昭和的って、なによ?
私には昭和的、平成的あるいは令和的なビジネスってよく分かりません。
人間が人間にものを売ることがビジネスだとしたら、その本質は、明治だろうと令和だろうと、日本だろうとアメリカだろうと変わらないと思うのが私の立場です。
なぜなら、商品が高額になるほど、社会的地位が上になるほど、企業価値が高まるほど。
顧客は取引相手のビジネスパーソンに「取引する商品と同等の人間としての価値」あるいは「自分と同等の人間としての価値」を求める生き物だからです。
例えば、コンビニで300円のサンドイッチを買うとき、顧客はレジにいる店員に、自分と同等の人間的価値を求めるでしょうか?
たまにそういう客をコンビニで見かけますが、大体クレーマー視されるのがオチです。
一方。
レクサスで最高級セダンを社長専用車として購入しようとするオーナーはどうでしょう?
コンビニの店員程度の客あしらい、商品知識、サポート体制で満足してくれるでしょうか?
レクサスのサポートは、大衆車と違い、無料ではありません。
そして、その商品の価格は、顧客が店舗に足を踏み入れた瞬間から転嫁されています。
自動車という商品は究極的には「走る、曲がる、止まる」ことが求められ、それに乗ることでAからBに移動することだけが求められる機械でしょう。
つまり、そうした移動手段としてもっとも普及しリーズナブルなのはバスであり、より利便性を必要とするならタクシーやハイヤーが最適で、自家用車や社用車と言うものは、本質的には不要な奢侈品になります。
それでも成功したビジネスパーソンがレクサスやベンツやアウディやBMWを求めるのは、それがステータスだからと言うのはあるかも知れませんが、と言うかそれがほとんどの理由かも知れませんけど、それだけではなく、やはりそれらによって「究極の利便性」が得られるからです。
究極の利便性というのは、つまり時間です。
成功したビジネスパーソンというのは、支出によって時間を買うのです。
そうした中、なぜレクサスを買いに来たか?
あるいは、コンペでレクサスとベンツを競わせてどちらかに決める場合もあるでしょう。
そのとき、どちらを選ぶのか?
それは車の性能でもその車のステータスでもありません。
究極的には、自分の担当になったセールスマンで決まると思います。
レクサスとベンツ、どちらの営業マンにより共感したかで、「今回は君から買うよ」、という決断がなされることの方が圧倒的に多いのです。
この原理が変わらない限り、私は明治だろうと昭和だろうと令和だろうと、ビジネスの本質は決して揺るがないと考えています。
しかも、田端氏のこの著書を読んで「昭和」と発言するレビュワーは
「よほど意識が低いか、トップセールスを任せられていない」
人物かな?と思います。
なぜか?
世の中のトップ達は、まさにその昭和に生まれ、昭和に働いてきた世代だからです。
なら、昭和のビジネススタイルを熟知していない若者のセールスに、心を打たれるでしょうか?
昭和のビジネス哲学を語る田端氏の著書を「昭和」だとブランディングする人たちの意識は、私には良くわかりません。
どうかそういう人には「令和」のビジネス術の本を上梓していただきたく存じます。
ですがまあ、上記の様なことを書こうと思ったとき、私自身がこの書籍に目を通していないと一次ソースに当たっていないことになるので、購入してしまったのですね。
ちなみにこの「昭和」というフレーズ、田端氏自身が書籍の中で露悪的に自称していました。
そのフレーズにイメージを引きずられて、本質を見誤った読者が多いのかなあ?
まとめ
人というのは、たとえ誰かがとても素晴らしい知見を語ろうと、せいぜい数万人がとても感動し、数万人は何かに反発し、残りほとんどは関心さえ持ちません。
そもそもがそういう存在ですから、本来、田端氏が炎上覚悟で何を語ろうが、その発言内容に関心が持てないなら、あるいはただ腹が立っただけだったら、あなたが関わらなければ良いのです。
おそらく氏がこうした言動を繰り返しているのは、その言葉の背景にある本質や知見に気づき、自身に関心を持ってくれる誰かを探しているからでしょう。
ただ単に腹が立っただけであれば、わざわざ氏のツイッターに反論や不満をぶつけるのは無駄です。
なぜなら、究極的には、あなたは氏の求めている人ではないからです。
ある朝、起きたら世界の姿がすっかり変わっていました。 漂流しつつある世界に、何事かをのこしつつ。