論理的でない人との会話はなぜこれほど疲れるのか?
初めに
論理学的には2択の正解って「AかAではないか」だけなんですよね
みなさん、「これ苦手なんだよね」と言ったら、「え!じゃあ嫌いなの!?」と返されたこと、ありませんか?論理学的には正しくない会話が返ってくると、「いや、そういうことじゃないんだけど…」と、なぜか心が疲れてしまいますよね。でも、こんな経験をした人は少なくないと思います。
実は論理学の基本に立ち返ると、「2択」と聞いて思い浮かぶ選択肢には、基本の形があるんです。それが「AかAではないか」というもの。これだけだとちょっと抽象的なので、分かりやすく掘り下げてみましょう。
論理学的には「AかAではないか」だけが厳密な2択
まず、「2択」について、論理学の視点から見てみます。論理学には「排中律(はいちゅうりつ)」という法則があります。この法則が意味するのは、「どんな命題にも、AかAではないかのどちらかしかない」ということ。たとえば、「今日は晴れている」という命題は、晴れているか、晴れていないか、どちらかしか選択肢がないんです。この原則に沿って考えると、選択肢が「論理的に正しい2択」として成り立つのは、Aとその否定である「Aではない」しかありません。
日常生活で「2択」だとよく言われる「これかそれか」は、実は感情や意図が混ざりやすく、純粋な論理的2択とは異なることが多いです。
でも実際の会話ではどうして「AかAじゃない」だけじゃ伝わらないの?
例えば、友人に「仕事で発表するの苦手なんだよね」と言ったとします。でも相手が「え、じゃあ発表嫌いなんだ?」と返してきたら、「いやいや、嫌いとは言ってないんだけど…」という状況に。ここで一瞬、もやっとするのは、「苦手」と「嫌い」が混同されているからですね。
このもやもやの背景には、論理的に正しい「AかAではないか」ではなく、一般的に感覚的な「2択」が人々に自然に行われていることがあるんです。つまり、「苦手だ」と伝えたときに相手が「嫌い」と受け取ってしまうのは、日常の中でどうしても感情やイメージが混ざってしまうから。感覚に基づく「AとB」的な会話は、簡単で理解が早いけれど、論理的に厳密なものとは少し異なります。
どうして「論理的でない2択」が頻発するのか?
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