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徒ズレ日記(2022.02.18)

“くるり”に殺されたい季節が来た。

 春の足音が近づくとどうもメンタルが安定しない。春の訪れが一緒に連れて来る漠然とした「期待」がただひたすらに怖い。それは明るい未来なんだろうか、、、同時に絶望の始まりなんじゃないか、いやそもそも最初から明るい未来なんかじゃないのかもしれない。

遠く汽車の窓辺からは春風も見えるでしょう
ここで涙が出ないのも幸せのひとつなんです
ほらまた雨が降りそうです
春風/くるり

 静かに、でも爆音で“くるり”を流し込む。小さな出来事で一喜一憂しながら湯船で終わりのない反省会を開く。昨夕、今年大学を卒業するバイト先の後輩と別れをしてきた。彼女とは、時折バイト終わりに深夜のマックやファミレスに行ったり、シフト休みの日にカレーを食べに行ったりとバイトメンツの中ではかなり仲良くしていた。サヨナラだけが人生だ!と大声を出しても春は出会いと別れの季節。サヨナラは少しばかり寂しい。とは言え新たな旅立ちにはおめでとう!と素直な言葉を伝えたい。大矛盾。

 男女の友情って存在する?って聞かれるたび、その質問をしている時点でもう少しばかり気があるんじゃないか、といつも思う。デート3回して告白しなかったらただの友達、という話も耳にする。あやふやな感情の心地よさに胡坐をかいて楽をして結局後悔する、なんて過ちをあと何回繰り返せばしなくなるのだろう。でもそれが友達?あれちょっと後悔してるの?

君がいるかな 君と上手く話せるかな
まぁいいか
でもすごくつらくなるんだろうな
君が素敵だった事 ちょっと思い出してみようかな
相変わらず僕はなんなとか大丈夫です。
東京/くるり

地元では梅の開花宣言がされていた。昔は桜より梅の方が"春"を感じるモノサシだったようだ。気づけば満開の桜を今年も見ているのだろうなぁ。そのころまでにはもう少し形ある自分で居たい。


"フジファブリック"が聞きたくなる秋口までのらりくらりやっていきたい。


 一体何がズレてしまったのだろう、という事で世界は包まれている。掛け違いと掛け違いが奇跡的に組み合わさって成り立っているコトの方が案外多いのかもしれない。その片っぽの勘違いばかり取り上げてしまうと悲劇になったり、行き過ぎてエゴになったり、傷つけたりしてしまうのか。教えて!!

最終バス乗り過ごしてもう君に会えない
あんなに近づいたのに遠くなってゆく
だけどこんなに胸が痛むのは
何の花に例えられましょう
ジンジャーエール買って飲んだ
こんな味だったっけな
ジンジャーエール買って飲んだ
こんな味だったっけな
安心な僕らは旅に出ようぜ
思い切り泣いたり笑ったりしようぜ
ばらの花/くるり


うーん、これは後々とても恥ずかしくなるやつだな。
でもそれがきっと青春!モノは言いよう!

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