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孤独に耐えられないフリーランスの自己紹介
このThreadsの投稿でたくさんの人に共感してもらえて嬉しかった。
今までの経歴を箇条書きして
・フリーランスになる。
・孤独を感じる。
・アルバイトを始める。(←今ここ)とかやってみたいけど、どうしてもそんなに簡単にはまとめられなかったので、こちらの記事を自己紹介として置いておきます。
リアルな知り合いがどこかでこれを読んでしまったら、間違いなく私を特定して来そうで怖いけど。
90年代後半に美大を中退した
美大に在籍していたものの、些細なことをきっかけにメンタルをやられて中退した。21歳のときだった。 学生生活を自ら終わらせたということは、つまり「働かねばならない」という現実が待っていた。
「うわぁ、無理かもしれない」と思った。
しかし、生活費がなかった。
親族の紹介で地方の量販店の経理として勤務することになった。まったくクリエイティブとは無縁の仕事だった。しかも30代・40代の先輩たちから意地悪な空気(田舎あるある?)を受けながらのサバイバル生活が始まった。それでもなんとか生存し、30歳になったとき、「何をやっているんだ、こんなところで」と思い、一念発起した。(やっとのことだった)
しかし、地方の事務職の給料は手取り12〜13万円程度で、上京するための貯金もなかった。辞めて1ヶ月後には退職金が振り込まれることがわかり、元彼に「退職金で返すから」と借金をし、上京することにした。こうして東京での一人暮らしが再び始まった。
ブラック企業で2度目のメンタル崩壊
上京して部屋の賃貸契約をするために転職先の内定書が必要だったので、とりあえず入社できる会社を選んだ。そこが、想像以上にヤバい職場だった。
幹部が並ばされ、社長に殴られるというミーティングが行われるなど、信じられない光景を目の当たりにした。
不適切だらけの昭和生まれの私でも見たことのない、衝撃的な職場環境だった。
当然ながら、出社しなくなった。
メンタルがあれになるのは2度目。自宅待機を開始した。毎日ゴロゴロしていたが、生活費は無くなる。そこで何とか立ち上がって比較的気楽そうな派遣の仕事に応募し、営業部アシスタントとして働くことにした。
仕事内容はほとんどなく、ネットサーフィンをしながら営業部の人たちと楽しく話す日々を送った。仕事もないのになぜ雇ってくれたのかは今だに謎。
ここでメンタルが回復した。
心の余裕が生まれ、「何かやりたい」という気持ちが芽生えた。英会話を本気で学び始めることにした。
デザイナーへの道
転職活動を経て、プレゼンテーション資料を制作する会社に入社した。英語学習の成果もあり、外資の証券会社に常駐し、バンカーから依頼を受けてプレゼン資料を作る仕事だった。その会社で入社直後に3ヶ月間受けた厳しい研修が、その後のデザイナー人生の基礎となった。
しかし、仕事は夜勤固定だった。
市場は24時間どこかの国で動いているので、それに対応すべく資料作成の部門も24時間3シフトで稼働していた。私は、夜22時から朝7時が勤務時間。看護師さんのようにシフト交代制ではない。夜勤の固定。休みの日も夜に起きている生活をしておかないと、仕事の日に眠くなったりしてしまうので、生活のリズムは夜行性をキープ。時間の合う友達はいなかった。
そこで転職を決意し、日本の証券会社のプレゼンテーションデザイナーとして勤務を始めた。外資の企業とは違い、穏やかな職場だった。「パンチが止まって見える」ってこういう感じなのかもと思った。仕事にも余裕が生まれ、もっと勉強したいことが増えて、資格を取得したり英語学習も本気度を増した。
マッチングアプリを使った出会い探し
ジムに通い始めた。ヨガや筋トレにもハマった。
しかし、そういえば出会いがない。
ワインバーで「最近の出会いはアプリらしい」と聞き、試してみることにした。
しかし、アプリでの活動はコミュ障ぎみ(しかも、細かいところにこだわる面倒臭いタイプ)の私にはつらかった。会った瞬間に「この人は違うな」と思っても、その約束が食事を含んでいたりすると最低でも1時間は話さなければならなかった。
そこで編み出したのが、「激忙しいキャラ作戦」だった。
「30分だけ駅近のカフェでお話ししませんか?」
良い出会いなら後日食事へ、なんならその後そのまま食事へ。ダメならお礼を言って解散し、一目散に駅へ向かった。そしてアカウントをブロック。このルーチンを繰り返した。
そうしているうちに、気がつけば40歳になっていた。
結婚と地方移住、そしてフリーランスへ
夫と出会い、マッチングアプリを全削除した。
それぞれに40代までひとりで生活してきた二人のほのぼのとした暮らしが始まった。
もともと私はコミュ障で、最低限の人としか話さないタイプだった。アプリでの出会いは、私にとっては無理をしていた部分もあった。
何度も心が折れかけたが、よく頑張ったと思う。
夫とともに地方へ移住することになった。
WEB制作とグラフィックデザインを学び、フリーランスとして本格的に稼働を始めた。元美大生だったことを思い出し、デザインだけでなくアート活動も再開することにした。
東京のクライアントから仕事をもらい、フリーランスとして順調な生活を送っていた。
孤独との戦い
ほぼ毎日、自室で作業をし、休みの日は創作活動をする。ひとりで過ごす時間が増えていった。気がつくと、孤独を感じていた。
クライアントは東京の企業が多いため、ミーティングはオンラインばかり。実際に会って話すのは夫だけだった。しかし、夫にも仕事がある。
過去に2回メンタルを崩していた経験がある。
「これはまた来るな」と察知した。
風邪の引き始めがわかるように、メンタルの崩れ始めも察知できるようになっていた。このままではいけない。本格的に病む前に、人と話さなければならないと思った。
アルバイトという選択
そこで、アルバイトをすることにした。
できればこの地域のクリエイティブな人と出会いたい。移住してきたばかりで、友達もいなかった。
週3回のアルバイトを始めることにした。
結果、心が安定し、楽しくなった。
これからは、過去に保留にしてきた「自分の創作活動」に、もっと挑戦したい。そして、そろそろ「老いとの戦い」も始まるのかもしれない。
まだまだ人生は続いていく。