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私は偏見を持った人間である

ミネソタ州で男性が警察官に窒息させられ、亡くなった事件を発端とする人種差別抗議運動は、アメリカ合衆国を超えて世界へ広がっています。ここ数日のニュースはこの抗議運動についてか、スペースXの民間初の宇宙船打ち上げ成功のどちらかで、アメリカ合衆国という国の持つ希望と闇が同時に垣間見えるようです。

人種差別については、映画や小説、歴史、ニュース等で知っているつもりでいましたし、自分はそれを理解している善良な市民だと思っていました。しかし、ドイツに暮らし出して、初めて「マイノリティとして生きること」の困難さを少しだけ実感することになり、何もわかっていなかったことがわかりました。そして自分がいかに差別に対して無知で無関心であったかも。


ちゃんとした比較資料に当たっていないので実際のところはわかりませんが、他の国で暮らす人たちの体験談を見るに、ドイツは比較的人種差別の少ない国だと思います。近年話題になった難民の受け入れ以前から、戦後労働力として移民の受け入れを積極的に行っており(西でも東でも)、外国人を見慣れていること。そしてやはりナチス・ドイツの反省から(思っていたとしても)大っぴらに人種差別をしにくい環境というのがあるのでしょう。

もちろんAfD(極右と言われる政党)の台頭や記憶に新しいイスラム系への襲撃事件なども起こります。サッカー選手への人種差別はいまだになくなりません。ただ普通に生活していて、差別されたと感じることは少ないように思います。

私がこの2年間で受けた明らかな差別表現は、通りすがりの小学生たちにゲラゲラ笑いながら、目を細めるポーズをされたことと、コロナ感染が広がり始めた際に電車の中から「コロナ!」と叫ばれたことくらいでしょうか。


昨年、作家の辻仁成が息子さんが差別に遭ったと憤慨して帰ってきたときに叱った言葉が良くも悪くも話題になりました。

彼の意見に関して、私は半分賛成で半分反対です。

差別に遭ったと感じたのであれば、即言葉に出して抗議する以外に対処法はないと思っています。(警察に通報する手もありますが現実として難しい場合もありますし)目を細めるポーズをして、ゲラゲラ笑われたことは最初は何をされているのかわからず、理解したときはショックでしたが、その場で即座に(中途半端な)ドイツ語と英語を駆使して抗議できたので、心理的なダメージはありませんでした。言葉が通じなくても日本語でもいいと思います。自分は明らかに気分を害した、怒ったことを相手に理解させることが大事なので。

ただ私は相手が小学生だから言えました。これが大人の男性だったら?警察官のような公的権力を持った人だったら?怖くて何も言えずに家で泣いていたかもしれません。明らかなパワーバランスの偏った人間に立ち向かっていくことは、特に異国の地においては、良い結果をもたらすことはありません。

辻さんの言う「言い返せないなら負けだ」「差別に遭ったことはない」という言葉は、裏を返せば「差別に遭うのは弱い人間だ」という強者の理論ではないでしょうか。


そして、明らかな差別に遭うことは案外少なくて、わかりやすい差別をする人はおかしな人として避けることができますが、実は巷には「差別」と言えるほどでもない偏見、抗議したとしても「あなたの思い違いじゃないの?」「そんな意図はなかった」となかったことにされる言動が、私自身も含め、想像以上にはびこっているのだとマイノリティになってようやくわかりました。

自転車屋で私はしばらく待たされたのに、白人男性が来たら即座に対応したのは果たして単に気付かなかっただけなのだろうか。

レストランで席の変更を頼まれたのはたまたまだろうか。

パン屋でドイツ語で話しかけているのに英語で返されるのはなぜだろう。

観光施設で案内を端折られた気がする。

こんなにたくさん人がいるのに、ホームレスに駅で必ず声を掛けられる。

道を聞こうとして私の顔を見てやめた?


どれもこれも私の勘違いかもしれません。時には親切な気持ちであえてやってくれていることすらわかります。でもそこには一般のお客さんや街の人ではなく、「ドイツ語のわからない外国人」に対しての行動であるように感じるのです。

それがすべて間違っているわけではなく、早口のドイツ語でまくしたてられても実際理解できないですし、配慮してもらえて有難いと思う場面もあります。そしてそれは私も日本にいたときにやっていたことでした。


2016年にアカデミー賞を獲った映画「ドリーム(原題:Hidden Figures)」の中に

I have nothing against y'all. あなたたちに対して何も(偏見は)持っていない。

とミッチェル(白人女性の上司)がドロシー(黒人女性の部下)に対し言うセリフがあります。そしてそれにドロシーが返した言葉に撃ち抜かれました。

I know.I know you probably believe that. わかってます。あなたがそう信じているだろうことは。

悪いじゃない」「悪気があったわけじゃない」とは誰かが何かをしてしまった際に擁護する言葉としてよく使われます。そう、わかっているのです、嫌なことをあえてやるような悪い人なんてあまりいなくて、ただ誰もが偏見や差別の心を持っているのに、ただそれを自覚していないことを。

金城一紀のデビュー作「GO」では、恋人の父はジャズを愛しているのでアフリカ系アメリカ人に偏見はないけれど、韓国や朝鮮人は差別する。そしてそれが差別だと自覚していない。

世界平和を謳う人が「世界中が仲良くしなければならない。ただし隣の国以外」となぜか例外を作る。そしてそれを区別だという。


育った環境も状況も話す言葉も見た目も違うと感じる人に、偏見や差別の心を一切持たないようにすることが無理だと思っています。ただ私たちは自覚することができます。私は偏見を持った人間であるということを。そして自覚したうえで行動を変えることも。