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最期の日まで

昨年3月末、老後は生まれ故郷で暮らすと数年前に仙台に一人で突然帰ってしまった父から電話があった。

「・・・俺、癌なんだって。来年の桜は見れないと医者に言われたよ」

膵がんステージⅣ。肝臓と肺にも転移の疑いありで、手術はもちろん出来ないし、どこまで治療もできるかわからないと宣告を受けたとのこと。

その前から糖尿病があり、少し前には頸椎ヘルニアになって体の自由が利かなくなり時々愚痴の電話を寄こしてきていた父は、この連絡をしてくるのにも心の整理をつけるために宣告から数日置いてから電話をかけてきたらしい。

そして、こう話をつづけた。

「横浜の俺の妹な、あいつもいつどうなるかわからない状態なんだ。俺が看取るつもりだったけどそれもできるか分からなくなっちゃったから、俺の代わりにお前が助けてやって欲しいんだ」

父には妹(私の叔母)がいた。兄妹とても仲が良かった。
旦那さんをだいぶ前に亡くしていた叔母は数年前に胆管がんになり抗がん剤治療を受け身体から胆汁を出す管を入れた状態で一人暮らしをしていて、いつ急変してもおかしくないと言われていたため、定期的に様子を見に行っていたらしい。

2人とも4か月足らずであっという間にいなくなってしまったが、私には二人のがん患者のキーパーソンとして生と死・健康と病という大きなテーマに直面した、とても長く重い時間となった。

病というのは本人だけでなく、周囲の人間にもその重さがのしかかる。
普通であればできることが徐々にできなくなっていく者を間近で見守るしかできない辛さ、精神面、経済面、通院等をサポートすることの負担。

何よりも、自分が自分でなくなっていく恐怖と闘いながらカウントダウンを待つ家族に思いを馳せる時、私の心にも何か真っ黒い霧がかかるように苦しくなった。

大きな病気をせずに寿命を全うし、
「お疲れさまでした」「これまでありがとうね」
と言い合ってお別れができること。
これがどんなに尊く幸せなことか・・・身にしみて感じた。
このような経験があって、今の私がある。

寿命と健康寿命の差をできる限り短くし、最期まで幸せに満ちた人生を送る人や、その家族を日本中にあふれさせたい。
そのために私は、健康について発信していきたいと考えている。

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