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「鮎の炊き込みご飯」のほろ苦さ【往復書簡】

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この記事は、僕と碧魚さんのnote上での手紙のやり取りです。
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前回までのやりとりは以下のとおりです。


碧魚さん

前回のテーマ「人はなぜ勉強しなければならないのか。」ではずいぶん悩ませてしまいましたね。

でも、手紙は待つことも楽しみで、まったく苦ではありませんでした。
それどころか、いただいた手紙には僕が思っていた以上に想いを詰め込んで返してくださいました。本当にうれしく、何度もうなずきながら読みました。

手紙の中で、学ぶことの大切さ、そしてなかなか伝わらない「けんくん(仮名)」の話を大変興味深く読みました。
けんくんは、碧魚先生がどんなサポートをしてもおかまいなし!
僕は物わかりのいいほうで、先生に言われたら逆らわない、面白くない子どもだったので、少しけんくんに憧れました。

「今」を生きる子どもである彼にとっては、大人になる遠い「未来」なんてどうでもいいし、響かない

これは真実ですね。我々大人だって本当に将来世代のためによい社会にできているのだろうか、なんて思ってしまいました。

そして、碧魚さんが出された答えも、とても素晴らしいものでしたね。いかに生徒と真剣に向き合っておられるのかが分かりました。

さて、突然ですが、開高健が「モノを上手に食べ、見ている人に食慾を起こさせるようなぐあいに食べるというのはみんなが忘れているマナーだが、なかなかむつかしい演技だと思う」とエッセイの中で語っています。

今回碧魚さんからいただいたテーマは「これまで食べて印象深かったものと思い出」。

僕はあまり味覚が鋭くなく、また舌の記憶も確かなほうではないので、食べた瞬間は感動して、絶対またここで食べようとか同じように作ろうとか思うのですが、ついつい忘れてしまいます。

そんな僕がいただいたテーマの回答を考えながら思い出したのが、先ほどの開高健の言葉でした。

僕が何かを食べて人に食慾を起こさせるような顔をした時のことを思い出せばきっとそれは僕にとっても「思い出深い」料理に違いない
と思ったのです。(浅はかですいません)

僕の父は鮎釣りが趣味でした。

毎年6月ごろの解禁を心待ちにしていて、解禁日初日から僕が起きるよりずっと前に家を出て、夕方に籠いっぱいの天然鮎を釣って帰ってきました。趣味の域を超えて大会に出ることもありました。

そんな鮎釣り好きの父に一緒に釣りに連れて行ってもらったことがあります。

「友釣り」というとても難しい釣り方で、竿は長くて重いし、おとりの鮎を泳がせるのも大変。なんで鮎を釣るのにおとりの鮎を事前に買うのかなど意味不明で、「その鮎を食べればいいじゃん」なんて思っていました。

それでも友釣りをする父の背中はカッコよく、自分もやりたいと思っていたので、川につくとすぐに準備をせがみ、父に支えられながら友釣りを始めました。

たしか6月ごろでまだ川の水が冷たくて、足が凍えそうになったり、苔のついた石の上を歩いてコケそうになったりして、常に父に腰を支えられていた気がします。

「あそこにおとりを泳がせてみろ」「もっと自由にさせてやらないとダメ」など父は厳しく指導しながら僕に釣りをさせました。

「キタ!!」父の声が耳の上から聞こえたとき、僕はやっと釣れる、と興奮し、竿を上に大きく上げようとしましたが、父が素早く手で竿を抑え「まだ、慌てるな」と言いました。耳元で響いた低い声は、いまでもくっきり覚えています。

そこから父は手を出さず、声だけで「ゆっくりこっちに寄せるように泳がせるんだ」など小さな声で、しっかり聞こえるように僕に言い聞かせました。決して、竿を僕の代わりに操ったりせず、絶え間なく声をかけ続けてくれました。無事にきれいな鮎がタモに入り、ぬるっとした魚体を手でつかんだ時、この光景、鮎のメロンのような匂い、手のぬめりは生涯忘れないだろうなと確信に近い思いを抱いたこと覚えています。

すいません。釣りの思い出を話してしまいました。

僕の思い出の料理は、釣りをした夜、父が作ってくれた「鮎の炊き込みご飯」です。

「釣った魚を美味しく食べてこそ、釣り人」とよく言っていた父に従い、僕も仕込みも手伝いました。鮎を一匹一匹丁寧に洗い、塩を振って、七輪で焼きました。そのあと、母が用意した炊飯器に身をほぐして入れ、炊き込み。

炊きあがった炊飯器を開けた時の豊潤な香りもいまだに覚えています。

食卓には、鮎の塩焼き(僕の皿には自分で釣った小さな鮎!)、鮎の炊き込みご飯、みそ汁といった品々が並んでいました。

鮎の炊き込みご飯の味はというと、めちゃくちゃ旨い! 鮎独特の香りが口いっぱいに広がり、ほどよく脂も米に染み込んでいました。でも少しだけ、苦かった。

父に聞くと、
「天然物は内臓も食えるからそれが苦いんだ。でも、それがうまいんだよ」。
食卓を見渡すと母も祖父も祖母もうなずいていたので、そんなもんかと思いましたが、いまではなんて贅沢だったんだろうと思います。

そんな風に鮎三昧を堪能していたら、祖母がふっと「あんたは美味しそうに食べるね~」と笑いながら言い「あたしもお代わりしちゃうわ」と食の細い祖母が珍しくお代わりしていました

たぶん僕が、人の食慾を起こさせるような食べ方や表情をしていたんだと思います。演技ではないんですが・・・。

それから僕は一度も「鮎の炊き込みご飯」を食べていません。何度も父にせがみましたが、「あれは仕込みが大変だから」の一点張り。焼いて食べるのももちろん美味しいけれど。

僕もどうせ毎年、父が釣りに行くことは変わらないのでまた来年でいいや、なんて思っていました。

そんな風に思っていたら、父があるとき体調不良になり検査をしたら大きな病気を患っていることが分かり、入院。何度か入退院を繰り返しましたが、数年前に亡くなりました。

病床の父と「鮎の炊き込みご飯」の話をしたことがあります。

僕が「また食べたいな」と言うと父も「あれは美味かったもんな」と笑顔で答えてくれました。父の思い出にもしっかり残っていたことを知り、少しうれしくなりました。

たぶん、僕にとって「鮎の炊き込みご飯」が特に思い出に残っている理由は、忙しくてなかなか遊べなかった父との釣りの思い出、食卓を囲んだ、みんながまだ元気で笑顔だった家族との思い出があったからだと思います。

歌人の俵万智さんの短歌に
君と食む三百円のあなごずしそのおいしいを恋とこそ知れ
という名歌があります。

きっと、高級な食材を一流のシェフが料理しなくても、「人生最良の味」は味わえるのだろうと思いますね。
この感覚には碧魚さんも深くうなずいてくださるのではないでしょうか?

長くなってしまいましたが、そろそろ僕からの手紙を締めたいと思います。

最後に僕から質問です。せっかく碧魚さんの好きな「食」をテーマに話をしたのでそのまま続けてみようと思います。ずばり「給食の思い出」でお願いします。先生になられてからでも、学生時代でも構いません。

猛暑から一気に寒さが増してきましたのでご自愛ください。

紅葉を楽しみにしている鮎太より

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