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舌足らずながら日米安保体制転換節

 ジョー・バイデンJoseph Robinette Biden Jr.第46代合衆国大統領が2021年1月20日に誕生した。78歳での就任という。ジョン・F・ケネディ第35代大統領以来、2人目のカトリックの大統領誕生となったそうだ。JFKは選挙で選ばれた最年少(就任時43歳)だったそうだから、かなり高齢での就任になる。

 9.11以来、米国のアフガニスタンへの軍事的な侵攻が始まり、その撤退を米国政府が決定した。それに伴い、アフガニスタン政府首脳が隣国に逃亡して、タリバン勢力による支配が彼の地で起きている様だ。2021年はミャンマーでも2月1日に国の軍部によるクーデターが起き、軍事政権が支配する状態が発生しており、軍事力が政府の行方を左右する現象はなくなってはいない。ところで、日本国憲法には次のことが謳われている。

 第九条 
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 1990年8月2日、イラクのフセイン政権が隣国クウェートに侵攻して合併を宣言し、翌年明けに国連は国連軍によるイラク空爆を行い、湾岸戦争が始まった。日本政府はこの時多国籍軍に90億ドルの援助を決めたが批判を受けた様だった。金は出すけど、血は流さないなどと。湾岸戦争に反対する文学者声明はこの頃に出され、声明は2つに分かれて出された。それが次の2つの声明である。

"私は日本国家が戦争に加担することに反対します。"
—  声明1 (1991)

"戦後日本の憲法には、「戦争の放棄」という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた。それは、第二次世界大戦を「最終戦争」として闘った日本人の反省、とりわけアジア諸国に対する加害への反省に基づいている。のみならず、この項目には、二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き込まれているとわれわれは信じる。世界史の大きな転換期を迎えた今、われわれは現行憲法の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる。われわれは、直接的であれ間接的であれ、日本が戦争に加担することを望まない。われわれは、「戦争の放棄」の上で日本があらゆる国際的貢献をなすべきであると考える。われわれは、日本が湾岸戦争および今後ありうべき一切の戦争に加担することに反対する。"
—  声明2 (1991)

 思えばそれから30年が経過した。この声明がどの程度の影響力を持ったのか、定かではない。もはや、振り返られることも少ないのだろう。この声明には加らなかった故加藤典洋は、次の9条改憲案を提案していた。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保持する陸海空軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残りの全戦力は、これを国連待機軍として、国連の平和維持活動や、国連憲章第47条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には、発動しない。また国連憲章第7章のめざす体制の完成後、国の交戦権は、これを認めない。
3 前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成し直し、日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入するものに対する防衛の用にあてる。ただしこの国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救援にあたるものとする。
4 今後、われわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。
5 前4項の目的を達するため、今後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可しない。

 以上、9条の戦後史(ちくま新書)加藤典洋より

 国連憲章第7章は、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」として、全部で111条から成る国連憲章の第39条から第51条にあたる。第47条には以下のことが述べられている。

1. 国際の平和及び安全の維持のための安全保障理事会の軍事的要求、理事会の自由に任された兵力の使用及び指揮、軍備規制並びに可能な軍備縮小に関するすべての問題について理事会に助言及び援助を与えるために、軍事参謀委員会を設ける。
2. 軍事参謀委員会は、安全保障理事会の常任理事国の参謀総長又はその代表者で構成する。この委員会に常任委員として代表されていない国際連合加盟国は、委員会の責任の有効な遂行のため委員会の事業へのその国の参加が必要であるときは、委員会によってこれと提携するように勧誘されなければならない。
3. 軍事参謀委員会は、安全保障理事会の下で、理事会の自由に任された兵力の戦略的指導について責任を負う。この兵力の指揮に関する問題は、後に解決する。
4. 軍事参謀委員会は、安全保障理事会の許可を得て、且つ、適当な地域的機関と協議した後に、地域的小委員会を設けることができる。

 また、集団的自衛権の文言が出てくる第51条は次になる。

 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 また、序として、次のことが述べられている。

国際連合憲章は、国際機構に関する連合国会議の最終日の、1945年6月26日にサン・フランシスコ市において調印され、1945年10月24日に発効した。国際司法裁判所規程は国連憲章と不可分の一体をなす。

国連憲章第23条、第27条および第61条の改正は、1963年12月17日に総会によって採択され、1965年8月31日に発効した。1971年12月20日、総会は再び第61条の改正を決議、1973年9月24日発効した。1965年12月20日に総会が採択した第109条の改正は、1968年6月12日発効した。

第23条の改正によって、安全保障理事会の理事国は11から15カ国に増えた。第27条の改正によって、手続き事項に関する安全保障理事会の表決は9理事国(改正以前は7)の賛成投票によって行われ、その他のすべての事項に関する表決は、5常任理事国を含む9理事国(改正以前は7)の賛成投票によって行われる。

1965年8月31日発効した第61条の改正によって、経済社会理事会の理事国数は18から27に増加した。1973年9月24日発効した2回目の61条改正により、同理事会理事国数はさらに、54に増えた。

第109条1項の改正によって、国連憲章を再審議するための国連加盟国の全体会議は、総会構成国の3分の2の多数と安全保障理事会のいずれかの9理事国(改正前は7)の投票によって決定される日と場所で開催されることになった。但し、第10通常総会中に開かれる憲章改正会議の審議に関する109条 3項中の「安全保障理事会の7理事国の投票」という部分は改正されなかった。1955年の第10総会及び安全保障理事会によって、この項が発動された。

 以上、国際連合広報センターホームページより。

 長くなったがこんなことは知らなかったし、未だによく理解してはいない。しかし、日本国憲法誕生以来、憲法の下では正式には認められて来なかった集団的自衛権を行使可能とするために、法律を作ることは筋違いなのは理解できる。しかし、それが私たちが暮らす極東の近代国家の現状になる。

 国連は十分に機能しているとは言えない現実はあるかもしれない。湾岸戦争に反対する文学者声明2にある次の箇所の延長には、加藤典洋9条改憲案と整合性がとれるものがある様に筆者には思える。

 戦後日本の憲法には、「戦争の放棄」という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた。それは、第二次世界大戦を「最終戦争」として闘った日本人の反省、とりわけアジア諸国に対する加害への反省に基づいている。のみならず、この項目には、二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き込まれているとわれわれは信じる。

 1917年の革命を経て1922年に誕生したソビエト連邦は、1990年8月に起きたゴルバチョフ書記長の拘束から、翌年にはソ連邦の崩壊、その体制下にあった周辺国の独立と国連加盟へと繋がってゆく。2001年9月11日以来のアフガン紛争と、それに続くイラク戦争(2003年3月20日ー2011年12月15日)それらは、第43代ブッシュJr.大統領政権下における米国の一国行動主義と、日本政府によるその支持が存在して成立した。その様な日米安保体制による日本列島を取り巻く安全保障は、月並みではあるけれど、転換期を迎えていることはよく認識されておく必要があるだろうと思う。

                                                 2021年8月29日 

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