選択肢
野党代表選、与党総裁選が続くようだ。いずれにしろ、今月末から来月初めに新たな日本の内閣が発足し、米国次期大統領が選出され、衆議院選挙という運びになるのではないだろうか。
野党代表選に、江田憲司、野田佳彦、枝野幸男、泉健太、吉田晴美と候補ないしその予定者の名前が報じられている。個人的にはよく知らないこともあるが、江田憲司候補ないし吉田晴美候補が野党の代表となるのが相応しいと思うが、野田佳彦、泉健太では日米安保体制路線は野党であっても変わらず、沖縄の基地負担軽減にはそこへ踏み込むことなしに実現の目処はないと思う。
与党総裁選は、誰が総裁になろうとも裏金議員を主軸とした体制に変化の兆しはなく、旧社会党、現在の社民党が勢力を失ってから55年体制は既に崩壊し、小渕内閣以降の自公政権はそれ以前とは異なる歩みを始めたと思う。大きかったのはやはり小泉内閣だったのだろう。同盟国によるイラクへの軍事侵攻を支持し、その根拠とされた大量破壊兵器は見つからなかった。憲法の平和主義の変質の兆しはこの頃からあったのではないだろうか。
1990年8月サダム・フセイン大統領の下、隣国クウェートにイラクが侵攻し、翌年明けてから国連の安保理決議に基づく多国籍軍の軍事攻撃は開始された。当時、海部俊樹内閣の下で政府は自民党単独政権として自衛隊の多国籍軍への参加を見送った。30年余り前になる。その後、朝鮮半島有事に備えた日米防衛協力のための指針が改定され、周辺事態法や有事法制が図られ、政府の米国追随路線は強化されきた。1996年4月日米首脳の決断による普天間基地変換も、この間沖縄県内移転へとすり替わり、旧民主党政権における鳩山由紀夫内閣の迷走と失敗を経て、辺野古移転が唯一の解決策とされる保守の主張が大手を振る様になってしまった。
沖縄では既に県民投票で辺野古移転への反対の意思は示されており、政府はそのことを尊重した外交を本来なら展開すべきところだが、政府が意思表示すれば一年程で破棄することのできるいわゆる安保条約は、自動更新が繰り返される様になって半世紀余りが経過している。日米安保体制の深化といったことが為政者から語られることはあっても、新たな日米関係を構築する舵は切られない。サンフランシスコ講和条約の成立前に、南原繁に代表された全面講和は日本政府が選択したことはなく、日米安保体制から国連中心の安保体制への移行と、国連憲章との整合性を図った集団的自衛権行使を可能とする憲法の改訂は、日本の保守勢力から唱えられることはない。臭いものには蓋をする政治が詰まるところまかり通っている。
与党も野党も、21世紀を迎えた新たな平和主義を憲法に基づき展開する選択肢を有権者に示せないのだろうか…。国政においてその選択肢が示されることはないのだろうか。