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日帰り旅:身延山へお参りに行く~気持ちの整理編~

いつもお世話になっております。
するめでございます。

日帰り旅なのに、なんで気持ちの整理をするのか?と思われたあなた!
ピポーン!正解です!!

身延山に行くのを、躊躇しておりまして・・・。

日帰り旅行をする前に、するめの気持ちの整理の旅にちょっと付き合ってもらえますか。



いつものように、仕事をしているぞ!!とフリをしながら会社でNoteの記事を見てふむふむしていると、懐かしい風景を目にしました。

ささづかまとめさんの記事に、何度も見たことのある、身延山からの景色に、急に過去へタイムスリップしてしまった訳です。
※ささづかまとめさん勝手に記事を載せてしまい、すみません。。


写真に映し出された景色が、どこで撮られたものかも、ハッキリ分かるぐらい、するめは、何度も身延山にお参りに行っていたはずなのに、躊躇していた理由があります。



前置きとして

身延山というのは、日蓮宗の総本山です。
山梨県の南側にある町で、静岡県にほど近い場所にあり、富士川沿いで、近くには下部温泉や南部温泉などが温泉があり、富士山からも近いです。身延町は、宗教都市で高野山や金峯山みたいな感じです。


事の始まりは、亡き父の遺言に、囚われてしまったからだ。

両親は、するめのことを何があっても味方でいてくれるという自信があった。どんな選択をしようが、最後には「あんたの好きにしたらええ」と。

だが、闘病中の父に「するめは、子供が居ないから、何も残してあげれるものはないけど、毎年身延山に供養してもらわれへんやろか」という言葉にカチンと来た。

するめは、子供が居ないからとは?
その前振りいる?
子供産まないと、何も残す必要がないと?

そんな気持ちをグッと堪えて「いいよ。毎年身延山へお参りにいくね」と答えたが、父の供養をしていない。

子供を産まない人生を、何だか貶されたような気がしたから。


亡くなってもなお、まだ許さないのは、道徳的にも仏教的にもどうかと自分でも分かってはいるのですが、気持ちというのはそう簡単には、納得できない。

闘病中の父に罵詈雑言を浴びせれたら、もしかしたら、こんな言葉に囚われなかったのかもしれないが、するめにとっては、父をむやみに、悲しませたくなかったから、この言葉に囚われているのかもしれない。

そんなふうに考えてしまう、親不孝な娘。



父が身延山で供養して欲しい理由は分かっている。


するめの母方の親戚に日蓮宗のお寺で住職をしていた尼さんがいた。
その人のもとで、父はするめが産まれるからか、父が海外赴任が決まったからか、修行をしていたらしい。

母方の祖母も、その人のもとで、修行をしていて、そんな縁か何なのか、するめの人生には、仏教が身近にあった。

毎年の家族旅行は、身延山へお参りすることだった。

するめの実家では、身延山へお参りはとても特別な行事だからこそ、父はするめに「身延山へお参りする」を託した。

託されてもな~。


父を許そうか、許すまいか。

身延山へお参りするか、しまいか。

何となく、毎年お盆になると考えてしまう。

だけど、仕事中にNoteの記事を見て、過去にタイムスリップをして、後押しされた。「行ってやるかな~」って。

そんなことを考えた日に、友達から連絡があった。

「するめ~悩み相談をきいてくれないか?」とLINEが来たので「もしもーし」と電話した。

散々話しをして後に「そういえば、するめの厄年はどんな?」と聞かれたので「あぁー!絶不調だね!」と答えると「俺も後厄で振り回されているわ」と聞いた時に、ふっと言葉が漏れた。

「厄除けに山梨にある身延山登りに行く?」

「えっ?行く?それってどんな感じで予定立てるの?」
突拍子もない言葉に、友達はめちゃくちゃ驚いていた。

「そういえば、俺、10月に会社から連休がもらえるけど、10月じゃ早い?」

「ううん。早くない。じゃ~行くか~」

「おっおん」と戸惑っていたけど、
こういう時に友達が必要だな~と思った。

行きたくないような、行きたいような。

許したくないような、許したいような。

そんな時は、誰かと一緒なら出来るような気がするって。



父を許す旅として、身延山へお参りに行こう。



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