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【紀行記】パリ13区と、『パリ13区』

パリに旅行で訪れていた際、パリの南東部にあるパリ13区に行ってみた。パリの観光地といえば、ルーブル美術館やノートルダム大聖堂などが有名だが、それらはパリの1区、4区とパリの中心部にある。多くの有名な観光地は、この中心部に存在しており、今回訪れた13区は、よくある観光ルートからは”外れている”と言えるだろう。”外れている”というより、また別でルートを組まなければ行くことのない場所な気がする。 今回のパリ旅行では、事情があっていくつか別の場所に泊まっていた。はじめはパリ郊外西側

    • 【エッセイ】鑑賞についての試論

      先週まで、旅行でヨーロッパに行っていた。パリ(フランス)を拠点に、ニース(フランス)、ローマ(イタリア)、フィレンツェ(イタリア)、ベルリン(ドイツ)を回った。充実した日々だった。街並み、食事はもちろんのこと、現地にある絵画、建築物、また現地を拠点にしている演奏家による音楽などを鑑賞できたことが、とても良かった。本でしか観ていなかった絵画、CDでしか聴いていなかった演奏、それを生で見れる、直で見れる、聴けるというのは、とても嬉しいことだ。それまでの経験が徹底的に嘘というわけで

      • 【書評&エッセイ】虚しく「退屈」をしのぐのではなく、豊かに「退屈」をしのぐには。ーー國分功一郎『暇と退屈の倫理学』と共に

        と、先ほどBlueskyに投稿した。Twitter(現 X)は、もう下水道みたいなっているので、Blueskyに移行し、ゆるく人と繋がっている。いつもは「今日は、角煮を作りました」「今日は、ミートソースをつくりました」などを報告したりしているが、たまにこうした投稿をすることがある。今回は、このポストの内容を少し広げてみたいと思う。 基本的に、自分の行動原理は「暮らしを豊かにしたい」ということである。暮らしの中で生まれている喜びをうまく感受することができたら幸せだな、と思って

        • 【評論】庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』評ーー閉じこもるか、溶け合うか、その二者択一の中で

          2021年に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開され、1995年にTVアニメシリーズとして始まった『新世紀エヴァンゲリオン』は、主人公の「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」というセリフと共に幕を閉じた。TVアニメシリーズが始まった1995年、日本では「阪神淡路大震災」「オウム真理教 地下鉄サリン事件」など大きな出来事があり、また政治や経済においても「変わり目」の年であった。それらと同列に語っていいのか分からないが、『新世紀エヴァンゲリオン』も当時の社会現象の一つとして語ら

        【紀行記】パリ13区と、『パリ13区』

        • 【エッセイ】鑑賞についての試論

        • 【書評&エッセイ】虚しく「退屈」をしのぐのではなく、豊かに「退屈」をしのぐには。ーー國分功一郎『暇と退屈の倫理学』と共に

        • 【評論】庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』評ーー閉じこもるか、溶け合うか、その二者択一の中で

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        記事

          【書評】 三木那由他『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』

          会話を介した人間関係 同書は「会話とはどういった営みか」という問いのもと、興味深い会話の例が見られるフィクション作品を取り上げ、会話という営みの複雑さと魅力を描き出している。扱われている作品には、アガサ・クリスティーの『オリエント急行の殺人』といった小説や、『うる星やつら』や『ONE PIECE』などのよく知られている漫画も含まれている。また中村明日美子の『同級生』や、近藤史恵の『マカロンはマカロン』なども扱われており、個人的に好きな選書である。フィクション作品というのが、

          【書評】 三木那由他『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』

          【評論】 ヤマシタトモコ『違国日記』 ーー「それでも」に伴う苦心、「共感」とは別の仕方で

          昨年、2023年に完結した漫画、ヤマシタトモコの『違国日記』。全11巻ある同作品は、歳の離れた2人の同居生活を描いている。1人は人見知りの小説家、槙生(まきお)、もう1人はその姪の朝(あさ)である。2人の同居は、朝が中学3年生のとき、両親を事故で亡くしたことから始まった。両親の葬儀の際、朝が親戚の間で盥(たらい)回しに遭っているのを見かねて、叔母である槙生が朝を引き取ったのである。このようにして始まった同居生活なのだが、槙生はそもそも人と暮らすのが苦手な人間であり、朝は朝で、

          【評論】 ヤマシタトモコ『違国日記』 ーー「それでも」に伴う苦心、「共感」とは別の仕方で

          【エッセイ】主張ではなく、アイデアを書いてみる

          何かを書こうと思って、こうしたnoteなどに文章を綴ろうとするのだが、途中で「なんか違うなぁ」と思って、書いていた文章を一気に消したりすることがある。 書こうと思うときには、それなりに書きたいことがある。それについて考えをまとめたいなとなり、書くに至るのである。そのとき自分は「キャッチコピー」みたいなものから始まることが多い。今回だと「主張ではなく、アイデアを書いてみる」が、それだ。私の場合、タイトル級の言葉がまず先に思い浮かぶのである。 「主張ではなく、アイデアを」とい

          【エッセイ】主張ではなく、アイデアを書いてみる

          【書評】 伊藤亜紗 『手の倫理』

          手を介した二者関係 普段、人の体に触れることはありますか。例えば握手だったり、ハグだったり、または介護での身体介助も、そうした「人の体にふれる経験」だと言えます。ただ、どうでしょう。物や自分の体にさわることは多い一方、人の体にふれることは機会や関係性がないと生まれないような気がします。また求めたり、拒絶したり、躊躇ったり、差し伸べたりと、人になると急にいろんな欲求や感情が絡んでくる。そんな独特な感覚をもつ「人との触れあい」、それが同書のテーマです。 「物にさわること」と「

          【書評】 伊藤亜紗 『手の倫理』

          【書評】 星野太 『食客論』

          「よそよそしさ」を泳がせておく 現在、「共生」という言葉は社会正義のスローガンとして人口に膾炙している。とりわけ、このスローガンは排他的な態度への抵抗として掲げられていることだろう。現在の日本の政治が、社会的少数者を頑なに考慮に入れないのを鑑みると、こうした抵抗は重要に思える。ただ勘違いしてはならないのが、「『共生』とは達成されるべき理念などではなく、われわれがあらかじめ巻き込まれている所与の現実」であることだ。つまり、われわれは「共生」を意識する、しないに関わらず、つねに

          【書評】 星野太 『食客論』

          【読書記録】千葉雅也『センスの哲学』を読む。

          哲学者で、小説家でもある千葉雅也の新刊『センスの哲学』(2024)は、千葉の芸術論であり、『勉強の哲学』(2017)、『現代思想入門』(2022)とセットで彼の哲学三部作となる。 千葉の哲学は、ポスト・ポスト構造主義と考えることができ、差異・変化一辺倒であったポスト構造主義を引き継ぎつつ、人間がどこか変にこだわってしまう部分、固く凝りってしまう部分に注目していく。特に『勉強の哲学』と同書『センスの哲学』は、その傾向がある。 ただ何の譲歩もなく「個人的なこだわり」を肯定して

          【読書記録】千葉雅也『センスの哲学』を読む。

          【読書記録】東浩紀『動物化するポストモダン: オタクから見た日本社会』を読む。

          2001年に刊行された『動物化するポストモダン(通称: 動ポモ)』は、批評家である東浩紀のポストモダン論である。また副題の「オタクから見た日本社会」とあるように、同書では20世紀末のオタク系文化に注目し、その特徴を戦後日本の時代精神の変遷に結びつけている。そしてロシア出身の哲学者アレクサンドル・コジェーヴの見立てを横に置くことで、その論考をポストモダン論へと繋げている。 ○全体要約 オタク系文化論: 「物語消費」から「データベース消費」へ 同書は大きくいえば「オタク系文

          【読書記録】東浩紀『動物化するポストモダン: オタクから見た日本社会』を読む。

          【論考】千葉雅也-デリダ論ーー「同一性/差異」の脱構築としての「仮固定的同一性」

          序本noteは、「脱構築」で知られているフランスの哲学者ジャック・デリダに関するものである。ただデリダ単体の思想というよりも、フランス現代思想の研究者である千葉雅也が書いたデリダ論、つまり千葉-デリダの思想を今回は扱う。そこには、20世紀後半に一世を風靡したデリダの複雑な思考を、現代に活かす際の心構えが含まれていると考える。とりわけ千葉- デリダの思想は「仮固定」「有限」といった千葉雅也固有の概念によって、脱構築の現実的な実践可能性を開いているように思える。今回は、まとまった

          【論考】千葉雅也-デリダ論ーー「同一性/差異」の脱構築としての「仮固定的同一性」

          【読書記録】イヴ・K・セジウィック『クローゼットの認識論: セクシュアリティの20世紀』 、「序論 公理風に」を読む。

          本noteは、ジェンダー・セクシュアリティ分野におけるクィア理論の古典的名著、イヴ・K・セジウィック『クローゼットの認識論: セクシュアリティの20世紀』(1990)に関する読書記録である。今回は特に、同書の「序論 公理風に」を読解する。 この序論は20世紀におけるセクシュアル・マイノリティの、特に同性愛者の権利運動、また同性愛に対する嫌悪がどのような前提で行われているのかに注目している。またレズビアン/ゲイ・スタディーズが栄えてもなお、いまだホモフォビック(同性愛嫌悪)が

          【読書記録】イヴ・K・セジウィック『クローゼットの認識論: セクシュアリティの20世紀』 、「序論 公理風に」を読む。

          【エッセイ】贈与と交換の緊張関係

          本の値段を気にして本を買うということは、本と、つまり知と「交換の関係」を結ぶということである。 金欠の状態とは、本を目の前にした時に「今の自分にこの本は買う価値があるのか、ないのか」という思考を一瞬でも忍ばせることを意味する。 そうした思考から完全に独立しようとするのではなく、そうした思考との緊張関係の中で思考をするということを考えたいのである。 我々はある純粋な贈与の場にいることはできない。ある程度、交換の場の中で生きているのだ。交換と贈与の緊張関係の中で、贈与のタイ

          【エッセイ】贈与と交換の緊張関係

          【読書記録】河口和也『クイア・スタディーズ』、「1. レズビアン/ゲイ・スタディーズからクイア・スタディーズへーー欲望の理論と理論の欲望」を読む。

          本noteは、ジェンダー・セクシュアリティ分野のクィア理論に関する入門書、河口和也『クイア・スタディーズ』(2001)の読書記録である。今回は特に第1部である「レズビアン/ゲイ・スタディーズからクイア・スタディーズへーー欲望の理論と理論の欲望」を読解し、要約する。 ○目次 ○全体要約 セクシュアル・マイノリティの社会運動史 セクシュアル・マイノリティ(今回は特に同性愛者に関して)の権利を推進させる運動のあり方は、時代や状況に応じて異なる。まずキリスト教において同性間の

          【読書記録】河口和也『クイア・スタディーズ』、「1. レズビアン/ゲイ・スタディーズからクイア・スタディーズへーー欲望の理論と理論の欲望」を読む。

          【エッセイ】異言語と身体の関係

          英会話の勉強を始めた。書店に並んでいたテキストを買い、1日10ページを目安に進めている。難しすぎるのを選ぶと途中で折れてしまうので、自分のレベルに合わせて『ネイティブなら12歳までに覚える 80パターンで英語が止まらない!』、『ネイティブが使っている 43のテクニックで英語が楽しくなる!』という教材を選んだ。題名からわかる通り、私の英語力は中学生レベルで止まっている。高校、大学と英語の授業はあったが、ほとんど寝ていた。ただ大学院に上がり、たくさんの留学生と出会う中で、話したい

          【エッセイ】異言語と身体の関係