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禁煙散歩のすすめ

突然だが、ぼくは喫煙者だ。今のところやめる予定はない。

だけど喫煙者に対して世の中の目線も厳しいものになってきた。もとより、灰皿がない場所では吸わないのは当然のマナーだし、あったとしても周りに配慮する。一番いいのは、一人暮らしでいる限り自宅で吸うことだ。

とはいえ、なかなかマナーを守らない喫煙者もいる。

煙草一箱の値段もずいぶん高くなってきた。家計を考えれば、やめるのが一番いい。だけど、それでやめられたら禁煙外来など存在しない。

なのでぼくは休みの日に、タバコもライターも持たずに散歩に出かけている。時間にして2時間くらい、とにかく散歩している。禁煙散歩とでも名付けようか。

人によりけりだけど、ぼくは吸わないほうがいい状況なら一日くらいは吸わなくても平気だ。そしてその時間を散歩に充てる。これはいい。今の時期、秋が深まってきて外を歩いていても汗はかかない。

今日もその「禁煙散歩」に行ってきた。バスで市内の中心部に向かい、そこからは目的地を決めずに散策する。

ぼくの住む地方都市は中心部になるほど住宅が密集している。そしてそこは勾配が結構急で、登っていくと結構な運動になる。

先日訪れたときは秋の宮前祭りで賑わっていた神社の参道が、祭りも終わり、いつもの静かな日常に戻っていた。

とはいえ近くに小学校もあり、その学校の児童たちがそこでボールを追いかけたりして遊んでいる。高学年くらいの子達だ。

ぼくが同じくらいの歳だった頃、同じことをしていたと思い出す。夏でも鬱蒼と茂った木々が影を作り、少し涼しい。そして急に訪れる静寂に肝を冷やしたものだ。そういう得体の知れない畏れって、子供の頃によく感じた。

坂道に密集した住宅街には、必然的にたくさんの小径が作られる。そこに自転車が置かれていたり、消火器が置かれていたり、ビニールプールがしぼんだ状態で置かれていたりする。聞こえてくるのはテレビの音か。

こういう、人の営みがきちんと音で、匂いで感じられる街並みって日本独自なんじゃないかって思うことがある。だだっ広い国道に面した、移動には車が絶対必要なスケールの国で大きな一軒家があったとしても、そこに醤油の煮える匂いや、野球中継の実況が聞こえてくることってないと思う。

日本の財産って、小さな国に人が工夫して暮らしてきた知恵と家族の暮らしそのものなんだな、そんなことを考えながら歩いていると、登り始めた時に見たセブンイレブン。戻ってこれた。そのままバス停に向かい、家路につく。

時間にして2時間と少し。禁煙散歩終了だ。禁煙というほど長い時間じゃない。でも、禁煙したいのにやめられないと苦しみながら吸うより、よっぽど有意義な時間じゃないか。その間、間違いなく1本も吸っていないわけだし。

こんなふうにして、ぼくは土日のどちらかをそう過ごしています。

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