Tokyo散歩 9月
9月は3連休が2回も続いて嬉しい。いと嬉しすぎ。嬉しすぎて変な古語になってしまった。土日の2日間だけではどうやっても取りきれない疲れが、3日目をゆっくり過ごすことでなんとまあすっきり取れてしまうことでしょう。もう3連休無しでは生きられない。ずっと3連休ならいいのに。と妻に言ったら「それな」と言われた。
それな〜。
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最近職場が変わり、通勤経路が変わった。これまでとは反対の電車に乗り、降りたことがない駅で降りる。乗り換えであたふた、おろおろしている。今までだって同じ東京だったのに、駅が変わるだけでこの慌てっぷり。これだから大都会トーキョーってやつは恐ろしい。今朝はプラットフォームを間違えた。間違えたことに気がつくのに5分くらいかかった。ああ恐ろしい。。でも社会人1年目に戻ったような気分で楽しい。車窓の景色が目新しくてずっと外を見ている。おろおろできるのは最初だけだから、この貴重な時間を味わおうではありませんか。どうかこの景色に慣れて飽きてしまうことがありませんように。
ミヒャエル・エンデのMOMOを読んだ。
ずっと気になっていた本。インタビューなどで、好きなアーティストや作家がこの本をお勧めしていることが何度もあった。ちょっと読んでみようかなとその度に思い、書店で手に取ったこともある。綺麗な表紙絵には惹かれたが、他にも読みたい本があるし、そんなに時間もないし、それにいいお値段だし、と何年も読まずに過ごしていた。
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先日子どもと図書館に行った時、児童書コーナーで偶然MOMOを見かけて手に取った。今なら読めると思い、借りて帰った。きっと自分の中でようやく、この本を読む余裕みたいなものが出来たのだろう。自分の中にいた時間泥棒をやっつけるのに何年もかかったな。
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ここ数年、動画を撮るのが好きだ。声と動きを残せるのがいい。成長するに従い子どもたちは変な替え歌や面白い踊りをしなくなるだろうし、声だってそのうち変わるだろう。そういえば自分の親も気がついたら声が少し変わっている気がする。そういう日常を撮りためたいのだ。
歳をとることは仕方がないし悪いことではないけど、たまに昔の様子を見返して懐かしい気持ちにぐーっと押しつぶされたくなることがある。ああこんな喋り方だったね。この歌よく歌ってたな。この変顔面白かったよねとか。そういう、ろくでもなくて素晴らしい日常を。
写真も好きで、たまに印刷してアルバムに残している。手元にあって見返せるというのはやっぱりいいから。最近は写真で動きを残せないか研究している。数枚を連写するとなんとなく前後の動きがわかって、写真でも動作がわかるような気がする。例えば風に吹かれるカーテンのゆらめきのような。
美術手帳1月号の『目[mé]』特集が良かった。目[mé]は3人組アーティスト集団。公式ページの説明を引用。
この本を読むまで目[mé]のことは知らなかったのだけど、その作品は見たことがあった。これ目[mé]だったんだ!昔見たことある!と1人で興奮していた。その素晴らしさを家族に伝えてもふーんで終わってしまうから、ここに書く。
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友達のライブを観に行った。
かっこよかった。自分も楽器をやりたくなった。家にキーボードがあることを思い出し、帰ってベン・フォールズの曲を弾く。相変わらず上手く弾けない。
シアター・イメージフォーラムへ行き『オキナワより愛を込めて』を観た。昨年オペラシティの写真展を観に行った石川真生さんを追ったドキュメンタリー映画。石川さんは熱量が高くてかっこいい。
ポスターやパンフレットのデザインが素敵だなと思っていたら、上原沙也加さんのデザインだった。どちらも好きな写真家だ。
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徳川第9代将軍の家重をテーマにした「まいまいつぶろ」を読んだ。「カタツムリ」という意味のこの題名は、生まれながらに障がいがあった家重のこと。他人事とは思えず一気読みしてしまった。よかった。
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夏祭り。
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MOMOの中で、時間泥棒の侵入を許してしまった人間の気持ちがわかる。でもやっぱり毎日ゆっくりコーヒーを飲みながら、窓の外を眺めるゆとりは欲しい。今なら秋に移り変わる景色がきれいだし、風も空気も夏との違いを感じられて楽しい。モモやジジの生き方を見て、読者はどう感じたんだろう。公園をゆっくり歩くように、そういう話をしてみたい。