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30過ぎ英語圏生活歴なし男が日本を飛び出して外資SaaSの日本進出をやることになり、日本のことや今後のことをつらつら書くブログ(副題:ホーチミンより愛をこめて)

こんにちは。
1月からホーチミンで働いております。Shoといいます。

現在、人材紹介・派遣企業向けのCRM「VINCERE」というサービスの日本進出、いわゆるGo to Market を担当しております。
私の経歴は以下の記事にざっくりまとまっているので、よければご覧ください。

過去のブログで書いていなかった前職をやめるところの経緯から、ホーチミンでの約2週間の生活を通じて感じたことをだらだらと書いていきたいと思います。よければお付き合いください。

■目次
前職で得たもの、チャレンジに至った理由
英語圏で働くために面接してみたら存外すんなり内定をもらえて慌てる
内定からホーチミンでの生活が安定するまでのなんやかんや
ひしひし感じる日本とのギャップ
その他思うこと。ベトナム生活の目標

前職で得たもの、チャレンジに至った経緯


前職はSaaSスタートアップのコミューンという会社でちょうど丸2年働いていました。
この会社での経験は自分にとってめちゃくちゃ巨大で、仕事の進め方・考え方・卑近なところでは給料面も含めて、あらゆることが身になる環境でした。

とくにファウンダーの3名が東大→ボスコン、Googleなどすごいキャリアの持ち主らだったこともあり、非常に合理的でかつほとんど完璧とも思える情報共有体制の下、何とかしがみつきながらも必死に働けたことは本当に得難い経験でした。

また、主力サービスであるcommmuneはオンラインコミュニティのプラットフォームということもあり、一般的なSaaSのCSとは毛色のかなり異なる戦略的な提案・プロジェクトマネジメントが求められたことで、ビジネスに対する姿勢や解像度、手をつけるべきスコープなどの観点は今までの会社とは比べ物にならないほど広がったなと思うところです。

そんな貴重な経験のできる環境でしたが、いくつか考えることがあって22年の6月ごろから転職を考え始めました。
いつくかあったのですが、中でも大きかった理由が「英語を使って働けるようになりたい」という数年来の願い。

コミューン自体は社長の高田さん直々に単身アメリカへ乗り込むなど非常に積極的に海外展開を行っている会社なのですが、重要なフェーズであるからこそ、現状私のように英語圏で働いた経験のないメンバーがJoinできるような生易しい環境ではありませんでした。

そして、年齢も年齢だけに「英語を使えるようになるために向こう3年ぐらいがラストチャンスだろう」と考え、思い切ってチャレンジをしようということになったわけです。

英語圏で働くために面接してみたら存外すんなり内定をもらえて慌てる

さて、転職活動をすこしずつ始めようと思い、LinkedInをザッピングしていた時、いくつかの求人があったのですが、うち2つにとりあえず応募。1つはアメリカ初のセキュリティ系SaaSの企業、もう1つが今のVINCEREの求人でした。

英語面接の勉強というつもりでどちらも挑んだしたのですが、VINCEREの方は日本人のアカウント(今の会社の先輩の個人アカウントです)に「ベトナム現地での採用です」と書いてあり、なんとなくちぐはぐな印象を受けたことを覚えています。

(ちなみにこの時点での僕の英語力ですが、CEFRでのB2レベル。とくべつ悪くはないですが、全然十分ではないくらいの程度です)

https://improve-skill.com/三井物産が海外赴任要件として求めるcefr-b2レベルの/

前者の企業は初めてだったこともあり上手くしゃべれず普通に不合格。まああまり気にすることもなくVINCEREの面接を受けました。
英語を使う気でオンライン面接に臨んだのですが、最初の面接官はLinkedInアカウントのご本人の日本人の方。この時はオール日本語だったので、当たり障りのないことを話した記憶しかなかったです。

面接終了後に2次面接へ進む連絡が来ました。その中に「次はオーストラリア人のCS部長と、インドネシア人役員との英語面接です」の文字が。一気に背筋が伸びるのを感じました。

とはいえ、練習する時間がそれほどあったわけではなく、面接で使えるフレーズなどを確認した上で臨みました。結果から先に話すと、内定をもらえたのですが、実は役員の方が日本語ペラペラで、時々しどろもどろになっていた所を何度かフォローしていただくことで会話自体は成立した(させてもらった、ですね)ようでした。

そんな感じだったので、「これは落ちたな」と思ったのですが、結果は合格。
これも先に話すとなんですが、日本進出&役員が日本語Ok&日本人社員がいる、ということで、英語力のウエイトは最低限だったようです。
どちらかというと、コミューンでのCS経験・CRMを扱った経験を評価していただき、見事海外で働くという夢の切符を手に入れたのでした。

内定からホーチミンでの生活が安定するまでのなんやかんや

さて、そこからですが色々大変でした。

退職意志を伝えて受け入れてもらったところまでは特に問題なかった(前職のメンバーにはとても応援してもらった、もらっています。感謝)のですが、なんといっても海外に住むこと自体が初めてなので勝手がまったくわからない。

会社の先輩から必要書類のリストをいただいたのですが、その方もベトナム初入国時は別の会社にいて、その会社の総務で各種手続きをすまされたとのことで、ビザやワークパーミット(労働許可証)、職歴証明書の公証入手などについては手探りで調べたり代々木八幡にあるベトナム大使館に行ったりしながらというバタバタぐあい。おまけに私生活の引っ越しや帰省も重なって11~12月は会社を辞めていたにもかかわらず怒涛の忙しさでした。

めっちゃ余談ですが、海外転職にあたって「円満退職することの大切さ」をひしひしと感じました。
ワークパーミットをとる上で「職歴証明書」という書類が必要なのですが、これは前職や場合によっては前々職の会社に出してもらうものなので、当時の総務の友人に連絡を取ってわざわざ発行・押印してもらう必要があるのです。喧嘩別れとかしなくてよかったな、と。

そんなこんなで渡航の準備が整い、航空券を予約して1月初旬に念願のベトナム入りが叶いました。
Twitterでたびたび食い物に関してつぶやいている通り、基本的に食道楽の人間なのですが、トランジットで経由したハノイ空港で食べたフォー(ベトナムの国民食)がうますぎて泣きそうになりました。

まあそれは冗談として、ベトナム入りしてからも落ち着くまではもう少しかかりました。
少なくとも数年は住む予定で来ているので、部屋の契約をはじめ銀行の口座開設、電話番号の入手、移動手段の確保など諸々の手続きが山ほどあります。

最初は面接をしてくれた日本人の先輩のところに居候させてもらい(この方にお世話になりすぎて頭が上がりません)、仕事をしながら諸々準備を進めました。
諸事情あって入国が後倒したこともあり、入国翌日には仕事スタートだったのですが、役員の方(日本進出の責任者。直接の上長です)に時間を融通してもらいながら、最初の1週でなんとか上記の手続きを終わらせることができました(これは結構頑張った。)

ひしひし感じる日本とのギャップ

そんな感じで、生活のほうは2週間がたってようやく安定してきており、これから徐々に日本進出へ向けて本業のほうも積極的に動かなければならないタームに入っています。
もともと前職ではハイタッチSaaSのCSを、前々職ではSalesforceやTableauの導入支援をやっていたので、基本的に契約後のフォローをやってきていたのですが、今回は市場進出ということもありマーケティング~セールス~CSまでビジネスサイド全般に携わることになります。

とくにまだVINCEREは市場に存在が浸透していないのですが、ありがたいことにインバウンドでの契約自体はじりじりと増えており、現在国内で10社程度のクライアントがおります。マーケティングにこれまでほとんど注力して来なかったにもかかわらず売り上げが立っている要因が、なんといっても圧倒的なプロダクト力。スタートアップにいた経験からわかりますが、海外企業の開発サイクルはハンパじゃないです。

(ここから、日本の話になっていきます。)

ベトナムのSaaS企業に入って驚いたいくつかのこと
開発体制がすごい。2カ月に1回圧倒的な量のアップデートが出る】

弊社は社員数約150名。ワンプロダクトの会社なのですが、半分以上がベトナム人のエンジニア人材です。
開発体制の詳しいところまで現状理解できているわけではないですが、少なくともこのエンジニア人材がプロダクト開発をぐいぐい進めていく原動力になっていることは事実。
ベトナムはエンジニア人材が豊富な国柄で、日本企業のオフショア開発の拠点に選ばれることも多いため、そういった体制を整えることが可能なのでしょう。
もちろん弊社のこの部分の組織運営が上手いのも競争力の要因のひとつと思っています。

【にもかかわらず労働環境が緩やか。8時以前&19時以降に働いている人間はオフィスにはいない】

人員が豊富なため、一人当たりの労働時間自体は日本の企業と比べれば圧倒的に少ない数値になっています。
一度試しに最初に出社して最後に退社したのですが、9時~18時の決められた労働時間の前後で働いている人はほぼゼロでした。
また、これは社風でしょうが出退社の縛りそのものがゆるく、仕事さえ回っていれば細かいマネジメントは必要ない、というスタンスのようです。

【社員の仲が良い。イヤーエンドパーティがめちゃ豪華&大盛り上がり】

ベトナムはそれこそ今日本の高度経済成長の真っ只中のような状態にあるため、結構諸々の状況が昭和の日本に似ているところがあります(労働時間以外)。
イヤーエンドパーティーの盛り上がりはまさに古き良き日本の宴会みたいな感じでした。宮殿みたいな川のほとりの豪華な会場を貸し切ってのビュッフェ、超盛り上がる社内の年間表彰、運動会みたいなクイズ大会など、入社3日目の私は戸惑いながらベトナムの洗礼を浴びていました(もちろん楽しみました。2次回のライブハウス、3次回はメンバーの自宅で宅飲み、というフルコース)

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その他思うこと。ベトナム生活の目標


最後は思うところをつらつらと。

【日本の若者でちょっと英語ができるなら東南アジアに来てみればいい】僕が色々と恵まれている、というのはありますが、日本の20代でくすぶっている人、とくに日本の閉塞的な雰囲気が合わないな、とおぼろげに感じている人はぜひ東南アジアに来てみればいいんじゃないかと、なんとも無責任なことを言い残しておきます。
色々と大変なこともありますが(水が合わないとか)、困難以上に経済成長中の国の熱気に触れることは、根本的な生きる力の中にいられるということだと感じます。日本の停滞感の原因も様々あるでしょうが、ほとんど構造的な問題なので、自力で何とかするよりは少し距離をおいて眺めてみるのもとくに若いうちはいいんじゃないかと。

【参入障壁が低い業界では、外資SaaSの比較優位は当然。優秀な労働者が日本企業を選ぶ理由は恐らくあまりない】
日本は諸々の参入障壁が高い国と言われます。英語が普及していないこと、各種法制がガラパゴス化していることなどが原因でしょうが、参入障壁が低いジャンルでは海外サービスが1番になっている分野はかなり多い。検索エンジンとかSFAとか。私が扱っている人材系CRMも恐らくこの分野。日本以外の数十か国で売れていることを踏まえても、プロダクト力はすでに圧倒的。あとはどう売るか、どう入るかですが、ここは私の頑張りどころです。

【ベトナム生活の目標:日本支社設立】
今はベトナムから日本への進出を地道にやっているのですが、最終的には日本に拠点を作る必要があると感じています。正直支社ってどうやって作るのか、どうやって軌道に乗せるのかなどまったく不見識なのですが、わかりやすい目標として持っておこうかなと思っている次第です。

【余談】

ちょっと話が飛びますが、私は根本的には日本という国が好きです。とくに海外に出てきたことで、日本の良さ・色々なありがたさをひしひしと感じます。おいしい食事・整った生活環境・穏やかな国民性・洗練された文化、など。そういう大切にしなければならない多くのものを持ちながら、それでも時代のせいか、日本で日本人として日本人とだけ生活することは、時にひどくストレスフルです。おそらく多くの言葉を要さずとも、このことに共感してくれる人は多いでしょう。

日本を出て2週間。まだわからないことだらけですが、日本がなぜ停滞しているのか、ということをボトムアップで肌で実感しながら、卑小な身ながら後々は日本のためになることを小さいことでもしていきたいと、珍しく殊勝なことを考えていたりします。

(真面目な話は終わり。飲みに行ってきます。)

LinkedInTwittermeetyなど色々やってます。ぜひフォローをば。


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