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会社でも保育園でも椅子取りゲームは勘弁
こんにちは。
3才の長女の保育参観に行ってきました。
ヨガダンスの披露と椅子取りゲームを見せてもらいました。
家とは違い、保育園では先生の指示に従い、ちゃんとルールを守る姿に安堵したと同時に、家ではもっとダラダラ甘やかせてあげてもいいかなと思ったり、娘の成長にほっこりしていたのも束の間。
「次はお母さんお父さんが椅子取りゲームしてください〜」
とのアナウンスが入りました。
チーン。。。苦笑
直感的に嫌だったこの感情よ
「おいおい勘弁してくれよ。会社ではポジション争い。保育園ではリアル椅子取りゲームとか笑えねーよ。」
と得意の半笑い(ブラックユーモア)で夫に耳打ちしたところで、逃げることはできず、次女の抱っこを夫にさせていたことが凶と出て、私が椅子取りゲームに参加するハメに。
別にいい大人なので、
始まればあっと言う間に終わるし、
それなりに楽しめる性格ではある。
それでもあまり心から椅子取りゲームを楽しめないこの感覚を言語化しておきます。
椅子取りゲームの特徴
①個人戦
②勝者と敗者が瞬時に決まる
③運ゲー
これらが嫌悪感の理由ですかね。
③運ゲーは、言い過ぎかもしれません。
勝つにはコツがあったり、日頃の努力や本人の瞬発力など能力を活かせる余地はあると思いますし、椅子取りゲーム優勝者には、最大の敬意を示したいとは思っています。
ただ、やっぱり個人戦で勝ち負けが決まる遊びはあまり好きではないですね。
せめて①個人戦でも、ダンスのコンペみたいに審査員が決めるような、結果的に勝敗が決まるものはまだいいのですが、一騎打ちで結果が出てしまうものは苦手です。
正直、椅子を譲りたくなってしまうんです。
奪い合うより、分け与えたいし、
パイが増やせない遊びはどこかで冷めてしまうんです。
チームプレーなら、勝つも負けるも、皆の為になるし、やりがいもあるんですが、個人戦はメンタル的にしんどいです。
母子でよく似た取り組み態度
遺伝子なのでしょうか?
驚くほど長女と私はよく似た態度でした。
別に、勝ちに行くこともなく、目の前に椅子があれば座るし、目の前になければ探すし、それでもなかったら、あっさり退場します。笑
闘志を燃やすこともなく、
負けて泣くこともなく、
流れに身をまかすのです。
大人の私は、もうちょっと自分の心情を言語化して明かすと、
始まってすぐは、それなりにドキドキ椅子を勝ち取りに行くのですが、残り半分くらいになった時には、そろそろフケようかな、なんて考え始めていました。何事も終わり方は大事ですからね。
自分より勝ちたい人がいるなら、もうそろそろどうぞって感じで、変に最後の3人とかに残りたくないし、そんな事で目立ちたくもないので、中盤のいい頃で、しれっと退場できたら、それがマイ勝ちパターンなのです。
負け惜しみとかではなく、ホントにホントにそんな気持ちなのです。
多分、娘もそんな感じで、娘にとってそこまで椅子取りゲームで勝つ事は大切な事ではないように見えました。
会社の椅子取りゲームはどうなの?
よくよく考えてみると、無意識のうちに、リアル椅子取りゲームと同じような行動特性を取ってるかもしれないです。
口では管理職になりたいやら、人事やりたいやら、ポジションを勝ち取りに行こうとしますが、周囲を見て、自分より必要とする人を見つけたら、自分から隙を見せて、椅子を譲っているかもしれないです。
そのくせ、私も椅子に座りたいと裏で言い続けている感じでタチが悪い。
保育参観の椅子取りゲームから、
まさかの、会社でのポジションを本当に取りに行きたいのか自分自身を問いただした方がいいかなという気付きになりました。笑
家族の椅子取りゲーム
家の椅子取りゲームは、負けがないからいいですね。
全員分の椅子がきちっとある。
ぼーっとしてても椅子がなくなる事はない。
安心安全とはそういう事だ。
家族が増えれば当然のように椅子が増え、
家族がいなくなると椅子が余ってしまう。
これがホーム戦のあり方だ。
自然の摂理に反した椅子取りゲームは、けしからんけど、ちゃんと自分にホームがあれば、ホームの外で椅子を奪いに行けるのかもしれないし、長い人生、ホームの外に出た時くらい、自然の摂理の抵抗を楽しむのもアリなのかもしれませんね。