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東洋哲学により恋愛の悩みを克服しつつある

ようやく、この本を読み終わった!

全416ページ。

久しぶりにこんな分厚い本を手に取り、しかもたった8日で読み切るなんて、小学生のときに『ハリー・ポッターと賢者の石』を読んだとき以来である。

そのくらいに面白く、どんどん知りたくなり読み進めることができた。

この本は、インド哲学の始まりから、その哲学が中国にわたってからの変遷と終焉、そして日本で洗練されていった経緯など、非常にわかりやすく噛み砕いて説明してくれている。

これまでほぼ哲学に触れてこなかったわたしですら、なんとなく東洋哲学の成り立ちや思想が理解できた(と、本当は言ってはいけないのが東洋哲学なのだが笑)。

この本を読んで得られた、わたしの「悟り」の理解は、

「ま、すべて思い込みだから」

と、

「『ああ、そういうことだったのか』を体感しなければ理解したことにならない」

である。

「ま、すべて思い込みだから」

これは、仏教用語でいう「無分別智」のことなのだが、この世のすべては分別において定義されているだけで、本当は分けられるものではないんだよ、ということらしい。

極端なことを言うと、「自分」すらもホントウにある、とは言えないのだという。

(このあたりを説明しようとするとわたしの力量では無理なので、ぜひ本を読んでください。笑)

本当は、すべて同じ、ひとつのものであるのに、わざわざそれぞれを分別(言葉)によってわけ、それについていちいち考えたり、悩んだりすること自体がバカバカしいことなんだよ~ということと理解した。

この考え方を、わたしの最も大きな悩みごとである「恋愛」に置き換えてみる。

わたしは人を好きになり、いい感じになり、そしてだいたいだめになる。

その度に、
「どうしていつもこうなってしまうんだろう」
「なんでうまくいかないんだろう」
「一生同じことを繰り返して、恋愛の不幸から脱せないのではないか」
「一生一人でさみしく生きていくのではないか」

なんて考え始め、まるでこの世の終わりかのように落ち込むことが多かった。

しかし!

それは!

すべて!


ただの思いこみによる苦しみだったのだ!!


「恋愛」というものは、実は存在しない。

ただ、男女(わたしは異性愛者なので)が、お互いを気に入って一緒に過ごす、ただそれだけのこと。

それ以上でも以下でもない。

そこに、それ以上の意味を勝手につけ、
「自分の好きな人とうまくいかない=不幸」
「一生一人でさみしく生きる=不幸」
と、勝手に"不幸"に結びつけて悲しんでいただけなのだ。

また、東洋哲学においては「自分でする」ということは一切ないらしい。

すべてが縁によるもので、勝手に起こるものだという。

そういうことなら、もうしょうがない🤷💫

「すべて勝手な思い込み」だし、しかも「自分でなんとかできない」ものに、いちいち悩んで苦しんでいるなんてなんと愚かなことだろうか。 

「『ああ、そういうことだったのか』を体感しなければ理解したことにならない」

東洋哲学は、西洋哲学のように論理や知識でそれを「理解した」とは言えないのだそうだ。

「悟りを開く」というのは、修行の末、「ああ、そういうことだったのか」というアハ体験みたいなものを感じられたときに得られる境地。

これを、またわたしの苦手な恋愛に置き換えてみる。

よく、恋愛に悩む人へのアドバイスとして、「恋愛以外で夢中になれるものを見つけてみたら」というものがある。

これについて、知識として頭に入れてはいたが、わたしは長い間これについて、本当の意味でわかっていなかった。

「頭の中を好きな人のことでいっぱいにするのではなく、意識を他のことにも分散させることで、その人のことを考え無い時間を作る」というのが、この行動で得られるゴールなのだと理解していた。

でも、実践してみると、どうか。

わたしの場合、どんなに仕事が忙しくても、ヨガに行ってもダンスをしても、友達とご飯に行っても、どんなに他のことで頭を忙しく動かしていたとしても、すぐに意識が「好きな人のこと」にむかってしまうのだった。

もうすごい執着。もはや執念だ。笑

でも、今回この本を読んで、少し、「ああ、そういうことか」と思えた気がした。

この、「恋愛以外で夢中になれるものを見つけてみたら」というアドバイスに従ったあとに得られる本当の結果。

それは、「恋愛が本当にそんなに大事なことか?」というアハ体験を得ることだったのではないか。

東洋哲学を学ぶなかで、このアドバイス、仏教でいうところの「公案」からわたしはその真理にたどり着いたのだ……(そろそろ怒られそう)!

ということで、この本、そして東洋哲学を学ぶことで、わたしが得たものはなかなか大きかった。

東洋哲学がかなり性に合っていたことと、もっと理解を深めたいという気持ちが強まったので、また別の本を読んで見ようと思う。

わたしの修行は、まだ始まったばかり――――――。

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