異常なまでの”好かれたい欲”を払拭するべく読んだ本
仕事の不安や焦りの原因がわかった
最近、業務委託で関わっている仕事を通じて、自分のスタンスについて気づいたことがあった。
それは、わたしは「仕事相手に好かれたい」という気持ちが異常に強いということだ。
特に、まだ関係値が浅い人に対しては、まず「わたしという人間を好きになってもらいたい」という気持ちが先走りすぎてしまう。
それにより、少しの粗相や自分の発言についていちいち心配になってしまい、MTGなどが終わった後には、
「あーあんなこと言って変なやつとか思われてたらどうしよう」
と思ってしまったり、テキストメッセージひとつ送るにも
「この言い方だと失礼かな…いやでも硬すぎるのも気を使わせてしまうかな…」
など悩んでしまうことがある。
他社に対して礼儀を尽くす、失礼のないように振る舞う、気持ちのよい態度で接する、というのは大事なことだと思うし、そういう人間でいたいと思う。
でも、わたしの場合、それにとらわれずぎて過剰になり、それが心の余裕のなさや焦りを生み出しているなと気づいた。
満を持して「嫌われる勇気」
そこで、この本だ。
今更感満載だが、わたしはこれまで、この本を読んだことがなかった。
「人に好かれてなんぼ」と思って疑わなかったわたしにとっては、「嫌われる」なんてことは全く必要のないものだったので、興味を持ったことすらなかったが、今わたしが感じている「過剰なまでの好かれたい欲」を、この本で払拭することができるのではないかと考えた。
この本のもとになっているのは、もうこの本の大ヒットと同時に日本にその名を知らしめることとなった、アドラー心理学である。
この本では、アドラー心理学を、西洋哲学のソクラテス、プラトンの思想と比較することが多かったことや、「いま、ここに集中して生きろ」という禅の思考と通ずる点がびっくりするほどたくさんあった。
そのため、これまでの哲学の勉強を踏まえて読み進めることができたので、読んでいてとても納得感があった。
それと同時に、本を読んで概要について触りだけ勉強しても、結局自分の中で噛み砕いて実生活で実践を繰り返さないと、自分のものにはできないのだなということも気づけたのは良い学びだ。
本を読んですべてを理解しているのであれば、今回「過剰なまでの好かれたい欲」が自分にはまだあり、嫌われる勇気を読もうと言うことにはならな買ったのだから。
この本から気付かされたこと
この本を読んでいて、印象に残った言葉は以下の通り。
わたしがキャリアブレイクを始めるきっかけとなったのは、心理士の先生から言われた「人からの評価を異常に気にするクセがある」という言葉だった。
そのときに始めて気付いたが、これまでを振り返って、「他者からどう思われるか」という視点を一切排除して下した決断は、わたしの人生において全く無かったと言っても過言ではかった。
高校受験、大学受験、就職、転職、全てにおいて、他者に「すごいね」とか「かっこいいね」と言われるものを選択するようにしていた気がする。
親の褒めて伸ばす教育により、わたしの自己肯定感は立派に育まれた。
その方針は間違っていないと思うし、親がそうやってわたしを育ててくれたことを今でも感謝している。
でも、それはいつの間にかわたしの中で、「親(他者)から承認してもらうことをやろう」というわたしの認知の歪みを引き起こしていたのではと思う。
気づくとわたしは、大人になった今でも、常に褒められるための行動を意識してしまっている。
それが、仕事における「仕事相手に好かれたい」という欲なのだと思う。
褒められるために、やるのではない。
本当は、自己肯定感とは、褒められるから育まれるのではなかったのだ。
今この一瞬一瞬を、丁寧に精一杯生き、それを積み重ねることで、自ら自分を認めてあげられるようになることが、一番大事なのだ。
この本のタイトルの「嫌われる」とは、それを極端に表現した言葉だった。
この本を読んで、「人から好かれることばかりを考えると、自分の人生を生きられず苦しくなってしまう。誰かに好かれることを考えるくらいなら嫌われたほうがいい!と思えるくらいの気概で生きなよ」ということを言いたかったのだなと理解した。
過去・未来については必要以上に気にせず、今、この瞬間、例えば仕事で、自分がやるべきことを一生懸命やる。コミットする。
自分の言動で、他者がどう思うかではない。
自分が、どう思うかに集中して行動したいと思えた。
それだけに集中して、これからの日々を過ごしてみようと思う。