「浅く、広く」でも良いじゃないか。
『自己肯定感』って最近よく聞きます。
これを高めるために・・みたいな記事やSNSでの発信もよく見かけます。私も今回、noteを読んだり書くようになって、周囲には「スゴイ人がたくさんいるなぁ」「私はなんて普通の、何もない人間なんだろう」と突然に自己否定感に襲われました。(不安定w)
少なからず同じ気持ちの人っているんじゃないかなと思い・・。
いたって普通の人生で、なにかに秀でてる自信もない。そんな私でもいいんだ、必要とされる場所はあるんだ、とか。せっかく過ぎていく時間なら「自己否定」より「自己肯定」出来る時間が長いほうがハッピーだし、仕事もプライベートも前向きに物事が進みやすいんじゃないか。そう考えて、いまも大事にしているマインドについて書いてみます。
「自分じゃなきゃいけない」理由を見つけられない
以前、同じチームにいたメンバーの子が面談のときに言っていた言葉。
「私、『浅く、広く』なんです。何かが得意とか詳しいとか全然なくて。取り柄がなんなのか、強みがなんなのか、考えても人に胸を張って言えるようなことがないんです。」
どう考えても組織にはなくてはならない、仕事にも真面目で一生懸命だし、成果も出してくれていました。組織から必要とされていることも、本人に伝わっていたと思います。
―――でも、「自信が持てない」「このままでいいのか不安」ということなんだと思いました。
「自分じゃなきゃいけない」と思われるためには「誰より●●が出来る人」「●●の専門家」でなければいけない、と、どこかで感じていたんじゃないかなと。
「何者にもなれない」私の自己肯定感を保つためのマインド
やっぱり「誰より●●が出来る人」「●●の専門家」の人には憧れます。自分にもそんな胸を張っていえるような強みがほしい。それだけで「●●といえばあの人」と第一想起されるし、自分を表現するときの代名詞にもなる。
そんな「何者にもなれない私」がたどり着いた自己肯定のための一つの考え方。
「深さより数。新たに出会うすべてのことから"出来ないこと"を減らそう」
24歳くらいのとき、「今の私はまずここから始めよう」と思いました。
「深く」が苦手なら、まずは「たくさん」で代替できないか?そして、何事もそこまで継続して一つの物事にこだわれない特性上、"出来ることを増やす"というよりは"出来ないことを減らす"の方が、無駄に迷う時間が無いと思った。
※出来ることを増やそうとすると無意識に何かしらで優先順位をつけようとします。選択をするために「迷う」という時間が生まれる。どうせこだわれないのに迷う時間は無駄。
[知識編]接客の仕事からの学び。3割知れば"物知り"になれることも。
営業でも接客でも、関わる人とはある程度「会話」する機会があるはずです。商品・サービス以外の部分での、人としての信頼獲得、関係構築、購買意欲が湧いた時に第一想起してもらえるか。
自分の関わる商品・サービスの分野での知識は当たり前につけなくてはいけないと思いますが、商品に加えて「自分」を選んでもらうための理由があれば、ビジネスにおいてチャンスは増えるはず。
「なんか知ってそうだから●●さんに聞いてみよう。」
あんまりよく知らない相手でも「あ、この人って物知りだな」と思うことってありますよね。
物知りの感じ方って2パターンだなと思っていて、
・何かについて深く知っている人
・たくさん色んなことを知っている人
大体このどちらかな気がするんです。そして後者の場合、「相手より知っている」状態になっていれば、ある程度"物知り認定"される印象です。(感覚では3割くらい知ってるだけでも意味がある)
また、「相手の方が知っている・詳しい」けど、その物事について「2-3ターンのやりとりが出来る」状態になっていれば、"相手は同じ話題を共有できた"と感じ、また話をしたいなと感じるキッカケになります。
※相手のほうが詳しい場合は、物事に関わる数少ない知っているワードを散りばめて話し、相手の反応の良いワードを記憶しておいて、他でも汎用させると「それっぽく話す」トークの精度が上がっていきます。
相手にとって"役立つ物知り"であるために、すべてのことを100知っておく必要はないと思っています。100知ったところで、相手が100理解できる訳でもなければ、求めていないからです。
[行動編]選り好みせず、かじってみる。
「これ苦手」とか「やりたくない」っていうことって誰にでもあると思います。私もめっちゃあります。でも思うんです。
何かにこだわって一つのことに対して深耕できないなら、出来るだけ新しく出会う物事に対して、「好き嫌いしない」「一回かじってみる」ということなんじゃないかなと。
向き・不向きも、好き・嫌いも、数をこなすことで知っていけばいい。自分の「こだわりたいもの」が見つかるまで繰り返せばいい。たとえ見つからなくても、気付けばそれなりに知っていることや出来ることが増え、色んな場面で必要とされるシーンが増えているはず。
私は"数"にシフトしてから3年くらい経って、対峙する人に感じる「何言ってるか分からない」とか、仕事で取り組む「大きなボール」を進める上での障壁が少なくなってきた感覚があります。
こんなに世の中がスピーディーに変化していく中で、「幅広く出来る」「幅広く知っている」は間違いなく強みだと思うんです。そして、必要とされるシーンにおいて"3割では足りない"と思ったら、そのときは引き出しをあけて、3割のところからまた再開すればいい。1からよりよっぽど走り出しがスムーズなはず。
いまの「浅く、広く」な自分もちゃんと愛してあげたい。愛してあげてほしい、「浅く」を深めていくキッカケとなる機会が増えていくように生きたい。
日曜のおやつタイム、そんな気持ちです。
明日は2ヶ月ぶりの出社が楽しみなので夜はパックして早寝しよう。
6月初日の明日は、くもり予報。折りたたみ傘があると安心かもしれないですね。明日は今日より涼しいのか。長袖じゅんび。