「それは1か月、半年待ってでも欲しいものか」

 幼いころに、母からよく言われた言葉です。
服、コスメ、趣味のもの、皿、調理器具、ちょっとした雑貨…。これらを買う時、まずは一度心の奥にしまっておき、1か月後、2か月後に自分の心の変化に耳を傾けてから購入しています。


「1か月待ってそれでもほしい気持ちが変わらなければ買ってあげる。」

 幼いころの贅沢品といえば、おもちゃやゲーム、漫画。欲しいものがあると伝えると、いつもこのように言われていました。
 両親の仕事はフリーランス。収入が安定していません。

「ボーナスいいなぁ~我が家には縁がない話だな~」という母のボヤキはいつの間にか我が家の夏と冬の季語になっていました。

 当時の私もなんとなく家の状況には気が付いていたので、一度は考えて、どうしても欲しいときは幼稚園で七夕の短冊に書いてみたり、サンタさんにお願いをしていました。

自分でものを自由に変えるようになった社会人

 そんな私も成長して社会人になりました。東京に就職が決まり、自分で稼いだお金で好きなものを買えるようになり、夏と冬に季語だったボーナスも支給されました。

 デパコス、ちょっと良い美容室、洋服、ちょっといい食材…。当時はSNSが未発達だったので、美容室の雑誌で情報を仕入れ、様々なものを買いました。

私にとって東京は都会で、沢山の魅力にあふれていました。

その魅力は、私の中で母のあの言葉を覆い隠してしまっていました。

 社会人5年目。役職は上がったものの仕事が激務で体調を崩し、一度住んでいたアパートを引き払って実家に帰ることにしました。引っ越しの準備をしていると、1回しか使っていない埃まみれのデパコスや期限の切れたちょっといい食材が沢山。
 ふと、「なんでこれを買ったんだろう」とその理由振り返るが、なかなか思い出せない…。荷物になるので、少し考えた後にただただゴミ袋へ放り込みました。

 この行動はこれ1度に限りませんでした。

 体調が回復してからは新卒で務めた会社を退職し、同時に当時の遠距離の彼と結婚。2年後に息子を妊娠しました。出産に伴い子供の荷物が増えるので、一度押し入れの中を整理することに。
 あれよあれよと出てくる不用品。社会人になってから買ったものもたくさん出てきて、不用品の烙印を押されました。ここで購入した理由を再び考えてみることにしたのです。

色がよかったから?流行っているから?
店員さんに勧められたから?

 物を買う時に出てくるどの答えをとっても自分の中で納得する答えにはならなかったのですが、ただ一つ、考えていくうちに腑に落ちた理由がありました。

「買うという行為」そのもので自分を満たしてあげたかった。

目的はなく、ただそれだけでした。
 もちろん、それ自体が悪いとは思っていないし、実際にこうした理由で買い物が成り立つことも知っています。
ただ私にとってはその理由がとても空虚で悲しいものにしか考えられませんでした。

 私は社会人になってから、一時期自分を大切にできなかった時があります。その時期を一気に思い出し、不用品となったモノに当時の自分を重ねて「ありがとう」と伝え、「さようなら」と挨拶してちゃんとお別れをしました。

 その時、都会の魅力という分厚い何かがふわっと飛んで行くように、母が幼い頃に私に言ってくれた言葉を思い出すようになった。


 
それ以降、何か物を買う時は「これは1か月後も半年後たっても、自分に必要なものだろうか」と問うようにしています。

 この問いのように待つことができずに、理由もなく衝動的に購入したものは、1か月後には存在理由が自分の中でなくなり、反対にこの言葉通りにしっかりと待ち、考えて購入したものはとても長い付き合いとなっています。

 私にとって「物を買う」ということは、その物としっかり付き合っていくこと。
その付き合いをどれだけ長くできるのか。

私が物を買う時のこだわり。
それは母のあの言葉にすべて詰まっています。

#買うときのこだわり

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