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誹謗中傷や批判をする人が悪いとは僕は思わない
僕が日頃感じていて本当に伝えたいことを嫌われる覚悟で今回話していきたいと思います。
タイトルを見て「は?何言ってんのコイツ?」って思われたかもしれません。反論が出てくると思います。それで構いません。
ですが、必ず最後まで読んでから反論して下さい。長いかもしれませんが、お願いします。
SNSなどで誹謗中傷や明らかに適切でない言葉を毎日のようによく目にします。
そーゆーのを見かけると対象がなんであれ、嫌な気持ちにはなります。対象が僕の好きなものだったりすると正直めちゃくちゃムカつきます。反論してやりたくなります。きっとそうですよね。
でも、なぜその人が誹謗中傷をするか考えたことありますでしょうか?
なぜ人は自分の大切な時間をわざわざ嫌いなものに費やすのでしょう?
別に強制的に見せられたり聞かされたりしてるわけじゃないので嫌なら見なければいいんです。自分で選べるんです。
誹謗中傷をする表面的な理由はいろいろあるでしょう。
ムカついたから。相手のことが気に食わないから。自分の常識と違うから。相手のことをよく知らないから。
でも僕が話したいのはもっと本質的なことです。
誹謗中傷する人が本当に悪いんでしょうか?
その人にしか問題がないんでしょうか?
誹謗中傷する人は悪なんでしょうか?
僕はそうは思いません。
理由は2つあります。
1つは、「問題」と「人」を分けて考えてるからです。
これはもう常識にしたいくらいなんですが分かりやすく言うと、
「誹謗中傷をしたという行為(問題) 」と「誹謗中傷をした相手(人)」を分けるということです。
誹謗中傷をしたことが悪いのであって、誹謗中傷をした人自体が悪いのではありません。
もしそれでなければ、たった一度でも悪いことをしてしまった人は一生悪い人になってしまいます。
分けて考えなければその人や自分そのものを責めしまう原因になってしまいます。
「そうは言ってもその人自体に問題あるからそんなことをするんだろ?」と言う人がいるかもしれません。
次が僕の伝えたいことです。
もう1つの理由は、その人に全て問題があるとは思ってないからです。
世の中は全てエネルギーで出来ています。
は?急にスピリチュアル?って思われたかもしれませんが、僕が実際に感じていてとても大事な話なのでとりあえず聞いてください。
人も物も言葉もエネルギー(または力)で出来ているんです。
いつも笑顔でいる人と一緒にいると幸せな気持ちになるのは正のエネルギーがあるから。
批判されて嫌な気持ちになるのは負のエネルギーがあるから。
経験ありませんか?
負のエネルギーが溜まるとストレスになります。
ストレスを発散しなきゃいけないのは抱えきれないほどのエネルギーが溜まり行き場を失ってしまうからです。
ストレスがたくさん溜まるとイライラしたり嫌な気分になりますよね?
負のエネルギーはそれほどまでに強い力なんです。
批判され続けるということは負のエネルギーをぶつけられ続け自分の中にどんどん溜まっていくんです。いつか人を殺してしまうほどに。
だから批判をするという行為はいけないことです。
しかし、批判する人が悪いわけではありません。その人が自ら負のエネルギーを作り出したわけではないんです。
その人も同じように周りから負のエネルギーをぶつけられてそれを発散するために他の人へ流しているんです。
誰も傷つけないストレス発散ができればいいですが、全ての人がそうとは限りません。愚痴や悪口に変わってしまうことだってあります。
だからその人に全て問題があるわけじゃないんです。
先日最終話を迎えましたが、鬼滅の刃がとても流行っています。
そこに出てくる鬼がいます。鬼は人を喰って人を殺します。それは明らかにダメな行為です。
しかし鬼そのものは本当に悪だと言えますか?
鬼滅の刃を読んだ人なら分かると思いますが、鬼は元々人であり辛い環境の中で生き、鬼にさせられ人を喰うしかない悲しい生き物なんです。本当はそんなことしたくないんです。
猗窩座なんてまさにそうですよね。鬼だけど猗窩座が本当に大好きです。
炭治郎はそれを知っているからこそ、鬼にも思いやりを持ちながら妹を助けるために努力して強くなって辛いけど鬼狩りをします。
何が言いたいかというと、鬼は誹謗中傷やさらに言えば犯罪を犯してしまった人を表しているんだと僕は思いました。
誹謗中傷してしまう人は鬼と一緒で悲しい人なんです。
自分を認めてくれる人がいなかったり、負のエネルギーによって人を傷付けてしまうんです。
そうせざるを得ない環境で生きているんだと思います。幸せだと思える環境で生きてきた人が批判などをするのはデメリットしかないからです。
批判をすることで周りから認めてもらない自分を人を下に落として正当化させているんです。
批判をしてしまう人は可哀想な人なんだと思えばいいんです。辛いことがたくさんあったんだなぁと。
だからと言ってもちろん批判などが許されるわけではありません。批判によって亡くなってしまった方も大勢います。
僕が言いたいのはもっと想像するべきだと言うことです。
相手も1人の人で、人生があって、大事に思ってくれる人がいるんです。
見ていると、批判した人の存在自体を批判している人がいます。注意するなら、
「批判しちゃダメですよ」
「言葉使い気をつけて下さい」だけでいいと思うんです。
それなのに正義という名を名目に批判している人そのものをいろんな言葉を並べて否定している気がします。
それじゃあ批判している人とあまり変わらないと思います。正しさを押し付けて問題が解決するなら何も苦労はしません。余計に炎上するだけです。正義も使い方を間違え人に押し付ければ悪になることもあると思います。
批判をした人を必要以上に責め続ければ今度はその人が死んでしまうかもしれません。
「批判をする方が悪い」ってよく言いますが、環境によっては自分が批判をしている人の立場にだってなり得るんです。自分が犯罪を犯してしまう可能性だって十分にあるんです。
もし自分がそうなった時に自分の環境が辛いにも関わらず、さらに大勢の人から自分の存在そのものを責められたらどうでしょう?
そうことを想像して発言できていますか?
その人のことを何も知りもしないで批判している人をその場面だけを切り取って関係もない他人が責められますか?
僕は自信を持ってハイとは言えないです。気を付けなければ感情に任せて人を傷付けてしまうことがあります。
過去に自分も同じようなことや悪いことをしたことがあるのに関わらずどうして人を責められるのでしょうか。
正当防衛という言葉がありますが、先に傷付けられたからと言って、相手を傷付けていい理由にはならないと思います。やむを得ないだけです。
誹謗中傷を禁止にするのも1つの対策としてはいいと思いますが、それだけじゃどうかと思います。
それにより表面的にはもちろん波は静まると思います。
でもそれはあくまで表面的で、水面下では溜まった負のエネルギーは行き場を失い、さらに悪化してしまうかもしれません。
コロナでの外出禁止と一緒です。
禁止にするだけしといてもし10万円の補助金やら手当てやら何もなかったらどうでしょう?
ただ禁止にさせられて他の問題は自分で解決しろと言うんです。酷ではありませんか?
誹謗中傷を禁止にしただけでは負のエネルギーは消えはせず、その行き場は自分かその人の周りの人へ向きます。
自殺してしまう人は他人を批判をしてエネルギーを発散しないからそのエネルギーが自分に向いてしまうんです。
もちろん自分に向いたエネルギーは自分を傷付け自分を追いやります。
自殺をしてしまう人は本当に優しいんです。
人を傷付けるくらいなら自分が死んだ方がマシだと思っているんです。
そんな人たちが自分で命を捨ててしまうなんてそんな馬鹿な話がありますか?
優しい人はどんどん消えてしまいます。
僕はそんな人を絶対に失わせたくないです。
批判をなくすために僕たちができることは必要以上に負のエネルギーを世の中に流さないことです。
負のエネルギーは必ずしも悪いわけではありません。
受けたものをうまく使えば強いエネルギーなので自分を動かす原動力になります。鬼滅の刃でも「怒りは原動力になる」と言っています。
僕は怒りや悲しみを将来へ繋げる原動力にしています。
人から受けた負のエネルギーをそのまま返すのはもうやめにしましょう。
そうやって人を渡って負の連鎖が進んでいく世界でなんて生きたくありません。
自分が子どもを持ったとき子どもにもそんな世界で生かせたくないです。もっと生きやすい世界で生きてもらいたいです。
大事なのはエネルギーを"変換する力"だと思います。
負のエネルギーを変換できれば、正のエネルギーになりす。正のエネルギーに変えて世界に正の連鎖をさせれば今よりずっと生きやすい世の中になると思います。
では、どうすれば変換できるのでしょうか?
先ほど言った、怒りをエネルギーに変えて何かに挑戦したり目標へ向かう原動力にするのも変換する力の1つだと思います。
あと僕が思いつくのは、「笑い」や「ポジティブ」に 変えることです。
芸人さんとかそうですよね。
ハリセンボンのお2人はまさにそうだと思います。
悪口のような言葉を正のエネルギーに変えて笑いを届けているんですから。
芸人さんは本当にすごいと思います。
アンチや批判なんて僕らには考えられないほどあって辛いと思うのにそれでも人生を笑いに変えて生きているんです。自分がどれだけ辛くても世の中に正のエネルギーをバラまいているんです。本当に尊敬します。
そうやって少しずつ負のエネルギーをなくしていくしかないと思います。
僕は批判をなくしたいとは思いません。現実的じゃないですし、批判した人が全て悪いわけじゃないからです。
僕は批判に負けない人を増やしたいです。
批判されて辛くなっても周りの人が認めてくれたり支えてくれたりしたら乗り越えられると思うんです。
何か好きなことに夢中になれば他人の批判などそこまで気にならなくなります。
だから僕は漫画を描いています。
直接手の届かない人たちを支えられるかもしれないからです。
なぜ見ず知らずの人を支えたいと思うのか?
それは、僕も気持ちが痛いほどわかるからです。
批判が怖くて自分の感情を上手く出せなかったり、
いじめられて辛い思いをしたり、
人から認めてもらえず孤独のような思いの辛さを知っているからです。
批判している人をどうこうするより僕は批判をされて辛い思いをしている人に寄り添える人になりたいです。その人の力になりたいです。
時間をかけるべきなのは批判をしている人に対してじゃなく批判をされた人に対してです。弱くても何とか支え合えればそれでいいと思うんです。
僕が人を支えたいのは弱い自分を支えてほしいからです。僕1人じゃ何かに立ち向かうことなんてできません。自分のためなんです。
理想を言えば、そうやってお互いに支え合ってどんな人であれ寄り添って生きていけたらいいと思っています。
いろいろ言うと、そんなつもりはないですが人から綺麗事だと言われるかもしれません。
でも上等です。
綺麗事すら守れないで一体何が守れるんでしょうか。
汚れ事ばかり吐く人には僕はなりたくないですから。
まぁほとんど自分のためですけどね。
でも汚れ事を吐く人を悪いとは思いませんし止めようとも思いません。僕が他人の行動を変える権利なんてないですから。
僕だって人間なので愚痴や悪口を言ってしまうことだってありますし、人は強い生き物じゃないので言いたくなりますよ。
言いたいことを面と向かって言うのは自分の心に正直な人なので素敵だなと僕は思います。僕はそれがなかなかできないので。
大事なのは人の弱さを受け入れて認めて寄り添って生きることだと思います。
誰だって自分が1番可愛くて大事ですよ。
自分を守るために嘘もつくし、人の足を引っ張ってでも自分を正当化しますよ。
何も変ではないと思います。大事な自分を守るためですから。
だから相手の悪いところばかりでなく、良いところに目を向けて生きていきたいです。短所なんてあって当たり前だしひっくり返せば全部長所ですから。
どうしても嫌な人とは関わらなければいいんです。
なんていろいろ偉そうに言ってしまったかもしれませんが、僕にそんな立場なんてないし大した人でもありません。
正直何が正しいかもわかりません。でもきっとそれぞれが正しいんだと思います。大切なものを守るためなら誰かを傷付けることも正義になります。人が行動するのは何かを守る時なので正義と正義の戦いがいつまでも続いてしまう気がします。解決策なんてないのかもしれません。生きている限りそれぞれの正義のために戦い続けるしかないのかもしれません。
でも戦うべきは他人じゃなく自分なんだと僕は思います。人は決して敵ではないと思いたいです。
僕らにできることは相手をよく知り、理解しようと寄り添い続けることです。相手を理解したつもりになって理解をやめないことです。理解できなければ理解できないことをも理解してあげるべきなんではないでしょうか?
また偉そうに言いました。すいません。
まとまりもなく長い文を最後まで読んでいただいた方は本当にありがとうございます。
書くのに6時間以上かかってしまいましたが、1人でも何か伝わっていただければ僕は嬉しいです。
現在僕が描いている漫画でも同じような想いを込めて描いているのでフォローすると、でき次第公開致します。僕も喜びます。
批判でも何でもよろしければ感じたことコメントしていただけると参考になるのでぜひ。
本当にありがとうございました。