夫の『うつ』の犯人探し
世の中には沢山の病気があって、誰が罹患するかなんてわからない。
分かっていたつもりでも、理解できていなかったのかなぁ。
息子を出産するための産休初日、初めての夫の姿を見て「ただ事じゃない」と気づいたけど、遅すぎたようでした。
地面を這って着替えをし、体を引きずって出勤しようとする夫が玄関で泣きながら振り返って『休んでもいいですか』って言った姿は、多分一生忘れないかも。
不眠も同時に発症した夫が睡眠薬で眠り1人になると今でも『どうしてこうなったのか』と考えてしまいます。
出産目前で張りが酷いお腹を抱えて横になり、夫が寝静まるのを心待ちにする毎日。寝息が聞こえその時が来ると、夫に見えないように何度も泣きました。
『夫は真面目で繊細だから、こんなタイミングで病気になって責任感に押しつぶされて、辛いだろうな、ずっと我慢してたのに気づけなくてごめんなさい』
それが最初の涙の気持ちでした。
でも心の中でこの言葉を飲み込み続けると、涙の意味が徐々に変わってきました。
『不妊や流産を乗り越えた待望の赤ちゃん、それなのにパパが病気なんて』
『育てていけるのかな』
『父親は無職、母親は派遣社員、そんな家庭に生まれてしまう我が子がかわいそう』
『結婚前から切望していた赤ちゃんなのに、今じゃなかったの?』
私は産前は派遣社員としてフルタイム勤務していました。残業や外回りもある事務で、不妊治療をしながら全家事も担当していたので毎日ハードで正直しんどくて。
妊娠してからは初期出血が4ヶ月あり、つわりも5ヶ月までありました。体重もなかなか増えずやっと食事が楽しめるようになった後期。産休に入るのをずっと楽しみにしていました。
最終出勤日に花束をもらって、期待に満ち溢れた日の翌朝、這いつくばる夫の姿と涙。
夫は明るい部屋がダメになってしまい、日中もカーテンをしっかり閉めて夜もリビングは暗いままでした。キッチンやエントランスの木洩れ灯りで生活していました。
『産休に合わせて有給休暇を取得し長く休めるようにしたのに、ゆっくりマタニティライフを過ごしたかったのに』
『朝は夫を送り出したら、ゆっくり過ごして家事して出産準備の買い物に出かけたり、会えなかった友達や家族と会ったりしたかった』
『ウォーキングして、近所のカフェでお茶したり、マタニティ雑誌を読んだり。赤ちゃんがいつでも我が家に来れるように準備したかったのに』
『名前もたくさんじっくり話し合って決めたかったのに』
毎日暗い部屋で泣いていると、夫を心配する気持ちがいつのまにかこう変わってきました。
自分の思い描いた生活や未来がそこにない、と言う事になかなか向き合えませんでした。
煮詰まっていく現状に泣き暮れて生まれた気持ち。
『いったい誰がわるいの?』
夫の鬱のきっかけは職場環境でした。
『夫を貶めた人が悪いの?』
『夫の心が弱かったの?』
『私が早く気づけばよかったの?』
夫の鬱の犯人探しを心でずっとしていると。
仕事が原因だと思っていたけどもしかして家でも休まる事が出来なかったから?
わたしのせい?
わたしが居心地の悪い関係を作ってた?
つらいと言えない環境にしてた?
夫を苦しめてたのはわたし?
夫の鬱が発覚して出産まで2ヶ月ありましたが後半はずっとその事を考えていました。
考えて考えて考えた結果、今でも誰が悪いのかわかっていません。
でも分かったのは、
考えても考えても誰が悪いかはわからない。
と言う結論が私の中で出ました。
もしかしたら、もう少し考えたら誰が悪いかわかったかもしれない。それは私かもしれないし夫かもしれないし、予想通り職場だったのかもしれない。私が原因なら、責任取らずに逃げてるだけでは?
でも、犯人探して、何するの?
勝手に恨んでも今は変えられないのに、これから赤ちゃん産まれてくるのに。
この世で頼れるのはパパとママだけの、私たちの赤ちゃん。
私は今できる事をしよう。
夫のサポートもやろう。我が子が誰からも恨まれず生きれる環境をつくりたい。
そう腹を括ったのは、切迫早産で入院したベッドの上でした。
苦しい産前休暇でしたが、必要な期間だったと思います。
息子が5ヶ月になった今でも、実は同じ事を今も自問自答します。でも、悩んでいい、考えていい、それでいい、と思えるようになって、何とか毎日やっています。
これが、受け入れるっていう事なのかな、と最近思いました。
これが私たち家族だから、辛かったり怒ったり泣いたりしても、我が子には楽しく笑える環境にしていきたい。
受け入れたら、今の環境のポジティブな面も見えてきたり。
夫が同じように考えるにはまだまだ長い年月が必要ですが、子どもには不自由させないように、私だけでも全力で働かないとなと決意した今日この頃です。
でも悩んじゃうと、決意表明のためこういう記事書いちゃうのかな。