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映画『Wish』を見て思ったこと


ディズニー好きの友達からも勧められていた『Wish』。

見に行こう、見に行こうとは思いながらも、体調を崩したり等含めて色々バタバタしてしまい、見に行けずじまいのままだった。

やっと予定がついて、上映スケジュールを確認すると、公開されてから割と経ってしまっていたからか、結構限られていて。

字幕と吹き替えどっちがいいということよりも、上映時間帯が自分の予定と合う方で!ということで、日本語吹き替え版を鑑賞🎞️


(※以降ネタバレ含む)

音楽も歌も素敵でよかったけど、

正直なところ、ストーリーはツッコミどころも割とあった。

「いやいや、アーシャちょい待てちょい待て、一回落ち着きな!」

「スター、あんたは一体何者なんや?」

「無礼者たちへという歌が、想像以上にノリノリの歌で、本当にお怒りソングなのか…」

「マグニフィコ王も落ち着け落ち着け。…あぁ。」

…etc.


そのあたりはいったん置いておくとして…笑

舞台はどんな願いも叶うという魔法の国「ロサス王国」。

その噂を聞きつけて、どうやら色んな人たちがロサス王国へ来たりしている様子。


自身の願いを叶えたくて、
人々は願いを王に差し出して待つ。
その代償なのか、
願いを叶えてもらえる日まで、何を願っていたかの記憶が消える。


いつ叶えてもらえるかはわからない。
それでもいつか叶うと信じて…
……ただ待つ。何を願ったのかももはや本人はわからないけど。


実際のところ、叶う願いは反乱の元凶等になり得ない、ロサス王国の国益を損ねない…といった願いのみ、マグニフィコ王が魔法で叶えてあげている様子。



ということは願いを差し出したまま、
何を願っていたのかも忘れているけれど、その何かの願いが叶う日を一生待ち続けるみたいな人たちもいる。


マグニフィコ王との面接の中で、主人公のアーシャがそのことに気づき…

それがきっかけで、アーシャの正義とマグニフィコ王の思惑(王にとってはその思惑が正義なのかもしれない)がぶつかりあって…物語は展開していく。



叶う日まで何を願ったのか忘れてしまうということは人々も了承済みで王に願いを預けているようにも見える。


で、願いを叶えるか叶えないかの判断は全て王のマグニフィコ王が決定する。


王が叶えないと決めた願いは本人には戻ってこない。


…それでいいの??願いを預けた本人はそれも承知で預けてるけど、
えっ、本当にいいの?
かなり他力本願では…?とストーリーが進むにつれて疑問を感じた。


願いの中には、どこかで他人の力を借りないと実現しないものも、もちろんあるとは思うけれど。

何を願ったのかも忘れたまま、

(もちろん、そういう状態だからその願いに対する何かしらの行動も起こせない。)

叶うかどうかもわからないものを
他人の判断のもとに預ける



もしそれが自分なりの行動で叶えることができる可能性があるなら?
…叶えるきっかけを作ることができる可能性があるなら?


もちろんやってみたって叶わない可能性だって大いにある。


自身以外の誰か、
他人任せにするのではなく、
自身で描いた願いに対して、自分自身で何か行動してみる、やれるだけやってみる

それがやっぱり大切なんじゃないか
それは自分が大切にしたいところでもあるのかも

そう思った。


映画『Wish』を通して、自分自身の大切にしたいことの一つだと気付かされた。


【余談】
同時上映の『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』、めちゃ良かった。今までに生み出されたディズニーキャラクターたちの共演、最高すぎる。
特にミッキーがオズワルドに先を譲ったシーン、胸熱!!

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