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祖母が導いてくれた、パニック障害と向き合う心
昨年秋に、祖母の一周忌があったのですが、
わたしは参加を見送りました。
帰省のための電車に乗れなかったからです。
もう時効だし書いてもいいかな~と思うのですが(何がだろ?笑)、
わたしは10年以上、パニック障害とつきあっています。
いろいろと、普通の人(って言い方もよくないけど)なら
なんの気にも留めないようなことでも、
わたしはできないことがあります。
親から一周忌についての連絡をいろいろともらう間も、
心の中はずっと葛藤で、嵐みたいでした。
もちろん行きたい。今しかない大切な法要に参加したい。
でも怖い。電車に乗れるだろうか。
当日になってやっぱり行けないとか、周りに迷惑をかけたくない。
孫なのに不参加なんて、不孝者だと思われるんじゃないか。
昨年、夏頃から調子を大きく崩してしまい、
2024年は本当に本当に…大変でした。
複業フリーランスの自己実現、なんてことより前に
毎日を生きていくことで、精一杯でした。
うまく食べられなくて、動けなくて、一日寝ていたこともありました。
ずっとこのままなのかな…って絶望した日もありました。
結局、この時は親に正直に状態を相談して
『亡くなった人のイベントより、
生きてる人の健康の方が大事やよ』
と、父から優しい言葉をかけてもらい、自分の不甲斐なさに
涙しながらも、欠席させてもらうことにしました。
以前は、パニック障害のことを、誰にも打ち明けられませんでした。
何よりも、自分自身が
“心の病気なんて恥ずかしい、こんな自分は自分じゃない” と、
自分を認められなかった。
だから、人に言ったら失望されるんじゃないか、
周りの人が離れていくんじゃないか、と怖かった。
人からの評価=自分に対しての評価、だったんですね。
人と同じようにできないことばかりの自分を責めて、恥じていました。
こんなにつらい状況にあってもなお、
もっとがんばれ、って自分にムチをうち続けていたんですね。
ほんとにかわいそうだったと思います。
でも、人にほんとのことが言えないのは、とてもつらかった。
ほんとは、自分はこんなときにつらいんだ、って話したかった。
それでも、かわらず接してくれる?って訊きたかった。
30代に入る少し前に、信頼する人にはやっと打ち明けられるようになって、
そこで知ったのは、人の温かさでした。
ずっと弱い自分を、鎧を着て守っていたけど、
守らなくても、生身の自分でも、嫌われたりしないんだと初めて知りました。
『そんなにひとりで悩んでいたのに、気づいてあげられなくてごめん。
パニック障害だとしても、あなたへの気持ちは何も変わらないよ』
そんな言葉をたくさんもらって、なんてわたしは恵まれているんだろう、
そしてどれだけ、勝手に自分はひとりだと思って、誰も信用してなくて
ひとりでがちがちになっていたのかとわかりました。
わたしはそれまで、人が自分に対してもっているイメージ、
リーダーシップがあるとか、明るくてお酒好きとか(お酒はすきですw)、
いつもきちんとやり遂げるとか、それを守らなくては
自分が自分でいられないと思っていたんですね。
今年の、いま現在も、まだまだしんどい日がある状態なのですが、
いま強くあるのは、もうほんとうのわたしを隠していたくない、
という気持ちです。
そして、ありのままのわたしでも、なにも恥ずかしくない、
葛藤も大きくなると思うけど、心のままにありたい、という決意です。
noteに書くかどうかも何ヶ月も迷っていたのですが、
パニック障害のことを隠していると、日々の気持ちの機微について、
あれも書けない、これも書けない、ってなってしまって(笑)
家で仕事をするようになって、人と話す機会が減ったことをきっかけに
こうやって、書いて気持ちを明らかにしていくことのちからを
強く感じてきたのだと思います。
ほんとうのわたしを、もっと明らかにしていきたい。
もう、そうしていい時期なんじゃない?と思えるようになってきました。
それが、これからのわたしにとって必要なことなんだろうと。
そして、ほんとうのわたしを隠すことなく、人とかかわっていきたい。
これが一番、強く望んでいることです。
これまで、会いたい人がいても、うまく移動ができないし、
自分から声をかけてドタキャンなんてできないし、
せっかく会ったのに楽しい顔ができなかったら、
相手を悲しませたり、嫌われてしまうかもしれない、と思って、
理由をつけて、泣く泣く会うことをやめたりしてきました。
でもその結果、コロナ禍の期間の移動自粛も重なって、
人づきあいがほんとうに少なくなってしまいました。
その時期に、自分と向き合うことを避けたことを後悔しています。
これからは少しずつ、自分の事情を隠してひとり戦うのではなくて
正直に相手と向き合いながら、できる範囲から
大切な人たちに会っていけたらと願っています。
人生は有限だし、後悔したくないなと思います。
こういう気持ちに少しずつ変わってこられたのは、
菜々子さんのライティング・ライフ・プロジェクトを受けたこと、
その考案者のさめじまみおさんのおかげだと思っています。
敬愛するお二人に大感謝です。
正直なところ、フリーランスのお仕事仲間の方々や、クライアントさんが
これをご覧になったときには、心配や不安を抱かせてしまったり
よくない影響もあるだろうと、そこは覚悟しています。
でも、長期的にはどこかで必ず必要になることだと判断して、
今回、ここに書くことを決めました。
最後に、
冒頭の、祖母の命日に、ひとりで近所の寺院にお線香をあげに行きました。
素晴らしい快晴で、祖母が天からわたしを
見てくれているような気がしました。
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ふと、寺社の入口に貼られていた
「天上天下唯我独尊」のことばの本当の意味が目に入って、
一気に涙があふれました。
祖母は、わたしにこれを見せるために、
ここに来させたのではないかと思いました。
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そのままのあなたで、何一つ加える必要なく、このいのちのままに尊い」
浄土真宗本願寺派 本願寺北山別院
とても個人的な文章、想いを、ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
自分と向き合う日々の想いを、
これからはより素直に、残していけたらと思います。