妄想爺のとんでも史観 (7) 税 と お供え
税 と お供え
テレビや新聞、ネットニュースが、定期的に沸きあがるはなし。
『税金の無駄遣いだっ! 我々の税金だっ! 』
間違ってはいないとは思うのですが、、、
税金の始まりは、租庸調 と昔、学校で習った記憶があります。
”租庸調(そようちょう)は、日本・中国及び朝鮮の律令制下での租税制度である。”
「租」は、田んぼで収穫したお米を税として納めることをいいます。
「庸」は都で働くことで税を納めるか、代わりに布などを納めることをいいます。
「調」は布や特産物(絹・紙・漆、工芸品など)を税として納めることをいいます。
江戸時代になると「年貢(ねんぐ)」として、お米を納めていました。 by Wikipedia
その前は? 始まりは? 中国から律令制を取り入れるまで、何も無かった?
そんな事は無い。と思っています。
それがお供え、貢物(言い方は違ったとは思いますが)では、無いでしょうか。
しかも、取り立てられると言うより、住民が自ら持ち寄り、お願いをしたのではないでしょうか。
住んでいる所のリーダーに。
荒ぶる神から守って下さい。(・自然災害 ・外部侵入者 ・疫病)
被害が出たら助けてください。(・食料の支給 ・安全な場所の提供 )
暮らしが良くなる様にしてください。(・防災工事 ・交易の推進とルール策定)
住民が得た利益(収穫物、交易品、労働力)からお供えを出していた。と思うのです。
住んでいる所のリーダーに。
上手く行かなかったら、リーダーも取り替えていた様な気がします。住民が、、、です。
力を持つものが常に支配していた。と言うのは その方が都合の良い方々の方便です。
100人の住人を力で支配するのに必要な労力は、いったい何人抱えれば良いのでしょうか?膨大な兵隊を抱える程、大変です。
普段は村人で、いざとなれば集まれみんな、の方が効率的です。
住民に逃げられたら大変です。力で押さえつけようとしては逃げられます。
捕まえようにも、山や海に逃げられたら手の打ちようがありません。
そうなる前に捕まえて、監禁したり人質を取ったりしたのでしょうか?
ごく一部には居たのかもしれませんが、維持費が大変です。住民の協力が必要です。
リーダー側と住民が、険悪な状態で相対した。とします。
10人の屈強な兵隊でも、30人もいれば勝てると思います。
弓とか投擲とか、直接組み合わないで相手は倒せます。狩猟と同じです。
なので、主権は住民にあり、計画立案、実行、確認、修正、計画変更、実行の実働をリーダー側が請け負った。
小さな村が集まり国になり、国が集まって地域となり、目的とする諸問題に合わせ、リーダーの中のリーダーを立てたりしていた。と思います。
その為に住民が貢物をして、色んなお願いを聞いて貰っていた。と思うのです。
大和朝廷が全国を統一した。と歴史教科書に書いてある場合があります。
具体的には、前方後円墳の築造年代とか地図上の分布図で、そうおっしゃってるようです。
それってさ、「安心して暮らすのに、こういった方法があるよ。」って、ヤマトタケルに教えて貰ったのではないでしょうか?
「あそこの村は、あの人たちに教えて貰って豊かになってるよ。私らも頼もうよ。」
「困りごととか起きたらさあ、何とかして貰おうよ。お供え、増やそうよ。」
「いやぁ~、何とかして貰ってよかったな。お礼、しないとな。」
みんなで集まって、お祭りして、お祀りして、服 って。
ヤマトタケルって、、、、物部一族。だと思うのですが、、、その話はまた、今度。
ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。