妄想爺のとんでも史観 (25) 米 鉄

妄想爺のとんでも史観 (25)

 米 鉄

 この国の稲作が始まったのが約3,000年前だそうです。
 コメのDNAを調べると、大陸の呉国辺りのものと親戚になるとか。
 最初の一粒は風が、それとも鳥が運んだのでしょうか?
 いえ呉の国の人が運んで来たんだと思います。
 陸稲、赤米、古代米。
 「稲作がこの国へ伝わった。」にこだわる理由は何でしょうか?
 携帯食、移動しながらの畑作、新天地への種の持参、交易品と技術提供としての稲作、、、全部あったんじゃないのかな。
 湿地帯に夏前に蒔けば、苗が出来ます。夏が過ぎ秋が来て籾が出来ます。それを平たい石で削ぎます。乾燥すればそのままで保存できます。
 食べる前に籾同士を摺り合せて殻を取り米にします。それを煮れば完全栄養食となります。炭水化物はもちろん、たんぱく質も脂肪分もミネラルも胚芽にあります。
 こんな便利な食物を放っておくわけありません。どうにか量産しようと試行錯誤するはずです。

 稲作は水で育てます。土地ではありません。保水と日干し、灌漑次第です。それ用に圃場整備技術が求められます。
 土木工事を見れば分かると思うのですが、道具は固さを求められます。木では脆く柔らかく早く朽ちます。
 青銅も柔らかすぎます。錆びれば毒も出るんじゃなかったでしたっけ。
 鉄が脚光を浴びます。湿地帯は鉄の鉱山だと気づきます。もしくは教えて貰ったのかもしれません。
 葦の根っこに出来る褐鉄鋼の玉から作ったり、川からの砂鉄で作ったりしました。しかし葦原中津国で採れる鉄は多くはありません。
 そのうち効率、歩留まりの良い鉄鉱石が山から採掘され始めると、遠くまで手に入れようとするのは必然です。
 半島から鉄鉱石の鉱脈が見つかったと思います。こぞって交易に向かいます。
 あっと言う間に山から木が消えます。この国から炭を運んだと思います。燃料用として、生活用として、軽いし、沈まないし、濡れても乾くし。
 簡単な炭の作り方は、山の中に深くない穴を掘り、木を並べ火を点けます。そこに土を被せていって空気との接触を遮断すると、木が炭化していきます。
 職人さんともなれば、本当に効率よく炭が作れます。

 鉄から武器を作った。とメインに言われています。
 もちろん武器にもしたでしょうが、農具がメインだったと思います。建築物にも使用するように釘や鎹も作ったと思います。
 刀や槍の先の注文も有れば作ったとは思います。相手や交渉次第だったと思うのです。
 稲作って言うのは根が張る事が出来る程度に、土を熟します。土に浮かない程度に水を張ります。そこに籾を撒けば一定数、芽が出ます。効率は良くないのですが、簡単な方法です。
 今でも東南アジアではそうしている地域があります。
 土を耕す鍬は、鉄が一番です。稲以外の植物を刈り取るのは鎌が一番です。背の高いものや茎の堅い草は、薙刀状の刀。収穫は実を削ぎ落す為の小刀。
 木や竹を加工し、道具を作ったり入れ物を作ったりする時にはやはりナイフが必要ですよね。
 建築物は柱は丸太で他は板状のモノが必要です。杉やヒノキは割ると板状に割れてくれます。
 その加工にも鉄は有効です。鋸自体はもっと時代が過ぎないと現れないと言いますが、刀で筋を付けて折る事をしてたとは思います。
 刳り船は丸太を刳り抜いて作ります。丸い、あるいは三角錐上のスプーンみたいなもので削って刳り抜いて行きます。
 船作りの職人も尊敬されたでしょうね。教えてくれと言う人もたくさん来たと思います。信じられない遠くからも来た気がします。
 噂は、海を渡ります。

 鉄はヒッタイト、中国で作られ始めたと言われています。最初は宇宙からの隕石(隕鉄)からともいわれています。
 熱して溶かして形を整え、研いだりして作ったのは、道具でしょうね。武器も作ったでしょうが、需要に偏りがあります。
 武器、要らない時には注文が来ない。必要な時には間に合わない。道具はいつでも必要です。
 みんな暮らしの安定が優先です。安定すれば、増産します。増産すれば豊かになり、隣国からちょっかいが来るようになるでしょう。
 武器が必要なのはそこからです。交易の際に襲われる事もあるでしょう。撃退する時には堅い刀は有効です。やりや矛の様なものも有効です。
 先程のヒッタイトより、早く鉄を作り始めたのではないかと言われているのが、シュメールだそうです。
 シュメール語を考え出し、周りから羨ましがられ、妬まれ、奢り高ぶったかどうか知りませんが、襲われて住んでいた土地を追われました。
 西へ東へ逃げていきます。東へ進んだ人たちはインド、中国、東南アジアへと行ったでしょう。
 安住の地があれば住み着きます。高い技術や能力を持っています。引き抜きもあったでしょう。僻みや妬みもあったでしょう。さらに東へと何百年もかけて進みます。行く先々の人達と混血を繰り返し乍ら、、、
 東の果てが、蓬莱山のある島。この国です。
 大陸から台湾、沖縄経由。直接東シナ海へ出て五島列島、九州へ。東南アジア方面から沖縄九州、四国、紀伊半島、東海地区、そして今の関東へ。まさしく蓬莱山と呼べる富士山が見えてきます。
 半島経由で九州、隠岐の島、出雲、丹後、若狭、越前、能登、佐渡、越後へと進んだ人たちもいた事でしょう。

 古文書の中に、シュメール語や他の中東地域、インド、中国の言葉と類似する単語や、その言葉で解読でき、意味もすんなり通る。と言うものが幾つもあるそうです。
 漢字が入って来ていない時期に、この国には文字も無かった。とする方々もいらっしゃいます。遺跡から石に刻まれたかの地の文字は、漢字の後に入って来たのでしょうか。
各地から、色んな人がこの国へやって来ました。
 多民族国家だったのです。文化も、文字も、話す言葉も、崇拝する神も、肌の色も、目の色も、ありとあらゆる人が暮らして、いえ生きていたのです。

 八百万の神。

 知らない人たちは、知らない技術の持ち主です。
 警戒はするでしょう。危険なら排除するでしょう。
 いざと言う時には、助け合わないと生きていけません。

 なにかと、「〇別」 と貼り紙を貼るのは、止めませんか。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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